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邪馬壹國は北部九州に在ったpart5 [無断転載禁止]©2ch.net

1 :九州王:2016/09/05(月) 22:18:00.78
帯方郡〜倭の世界

帶方郡         郡 治
 ↓
-↓--水行7,000里----↓---------------------水行20日---
 萬                                    投
          到 狗邪韓國                    馬
 二                               水     國
-  ----------------↓----------------------  --------
 千  度海1,000里                     行
             對馬國  方可400里(800里)
 餘  渡海1,000里  ↓                  10
             一大國  方可300里(600里)          女
 里  海渡1,000里  ↓                   日   邪
 ↓           末盧國
 ↓  陸行  500里  ↓              陸行1日(1月) 王
 ↓        到 伊都國(女王の都)             馬
 ↓      100里  ↓ 100里
自女王國       奴  國→不彌國→斯馬國           國
               ↑            ↓          壹
             烏奴國   周   已百支國
               ↑     旋     ↓
             支惟國   可   伊邪國         國
               ↑     五     ↓
             巴利國   千   都支國
               ↑     里     ↓
               ・・・・・・・・・・・・・・・・・
-------------------------------------------------------
              狗 奴 國
前スレ
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1471332936/

2 :九州王:2016/09/05(月) 22:18:33.04
水行十日陸行一月が水行十日陸行一日の誤りとするだけで、魏志倭人伝を全て矛盾なく解読する説を提案します。

邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國に都して邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)

3 :九州王:2016/09/05(月) 22:19:00.67
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の治世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の治世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」ことを指すと結論される。

4 :九州王:2016/09/05(月) 22:19:57.19
里数の行程と日数の行程は同じ行程を距離と時間で説明したもの
郡の中心地から女王国の中心地まで何里であり、日数だと何日掛かると説明しているもの
続けて読むから意味不明の文章になる
報告者は軍人であり、正確に報告している
水行二十日は郡から狗邪韓國までに掛かる日数に当たり
水行十日は狗邪韓國から末盧國に当たる
すると陸行一月は末盧國から奴國までに当たることとなる
しかし末盧國から奴國までは陸行一月は掛からない
陸行一日あれば十分なので
陸行一月は陸行一日の誤記。

5 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 22:23:20.41
まだやるのか
賛同者いないんだからもう終了でいいんじゃね

6 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 22:28:10.81
「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐してる監察官
「常治伊都国」・・・女王国の北の各諸国の置かれた一大率を治め(統率)ていた
つまり
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」では
「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」
の意味となる。

7 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 22:44:31.42

>「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国

伊都国は以北だろ

8 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 22:47:40.53
北九州つうか、筑後平野だろ常識的に考えて。
山門郡とか三潴郡とか御井郡とかのあたり。
卑弥呼の墓は祇園山古墳。
奥座敷みたいな所が日田ダンワラ古墳。

9 :九州王:2016/09/05(月) 22:47:48.90
全て伊都国についての説明だから「皆統屬女王國」も伊都国についての説明
伊都国を首都とする女王國は倭の国々を統屬していた
皆とは倭の国々を指しているのであって
皆が絶対に伊都国を指さなければならない理由はない
だいたい皆と呼べるほど多くの王が魏代に伊都国にいたとは考えられないし
伊都国に付いては特に詳しく説明されているにも関わらずそれらし記述も一人の王名ない。

10 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 22:53:00.60
>>9
>全て伊都国についての説明だから「皆統屬女王國」も伊都国についての説明

じゃ、皆も伊都国王の事だろ

>だいたい皆と呼べるほど多くの王が魏代に伊都国にいたとは考えられないし

それ、あんたの所感

11 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 23:07:17.41

伊都国は女王国の南にでもあったのか?

12 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 23:23:40.28
>>6は漢文読めないことが明らか

13 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 23:29:01.40
畏れ憚られてると明記できるくらいだから、
火器などを用いて暴力的に支配してたんだろなあ

14 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 23:38:47.64
新撰組みたいなもんか

15 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 00:14:30.81
倭人伝の官名と記紀の人物の対応

対馬国の官「ヒク」=アマテラスの息子「アマツヒコ」
壱岐国の官「ヒク」=アマテラスの息子「イキツヒコ」←これなんかまんまだよね
伊都国の官「ニキ」=アマテラスの孫「ニニギ」
投馬国の官「ミミ」=アマテラスの息子「オシホミミ」
不弥国の官「タモ」=アマテラスの孫「ホアカリ(別名クシタマ)」

16 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 00:19:24.45
バカの隔離スレが必要だからな

17 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 00:43:38.43
前スレ>>947

>>「從郡至倭」即ち「郡を通って倭に至る」「郡の先にある倭に至る」
>>だから郡の外れでもよい

>何故、「從郡至倭」が「郡を通って倭に至る」「郡の先にある倭に至る」の説明を求める


介詞「從」の用法を勉強して下さいね。
現代中国語では、介詞「从」の用法になる。

「從郡至倭」の視点は、中国大陸の魏の都である洛陽にある。
この場合に「倭に至るには」の「從」の意味は、
「帯方郡を通って」「帯方郡の先の」「帯方郡の向こうの」等である。

「從」では、視点の起点は洛陽ではあるが、距離の起点は帯方郡である。
距離を基準にした日本語訳は「帯方郡から倭に至る」の意味になる。
経路を基準にした日本語訳では「帯方郡を通って倭に至る」の意味になる。

18 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 00:56:04.73
>>15

イイ線逝っているね。
邪馬壹國の官「イキマ」はどうなる?

19 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 02:01:58.98
邪馬台国の周辺の国はみな九州北部。

1番目の斯馬国は嶋(志摩)、福岡県糸島市
5番目の彌奴国は嶺(三根)、佐賀県神埼郡三根村にある吉野ヶ里遺跡
8番目の姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番目の對蘇国は鳥栖の安永田遺跡(佐賀県鳥栖市柚比町)
16番目の邪馬国は八女の室岡・亀ノ甲遺跡(福岡県八女市)
17番目の躬臣國は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番目の巴利国は杷木(福岡県朝倉市)
19番目の支惟國は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番目の烏奴國は大野城趾(福岡県大野城市)
21番目の奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

20 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 08:19:43.34
>>11
伊都国は「常治伊都國」とあるから「自女王國以北」に在っても一大率は居ない
伊都国は各諸国の一大率を統率する場所。

21 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 08:27:44.68
>>17
>「從郡至倭」の視点は、中国大陸の魏の都である洛陽にある。
>この場合に「倭に至るには」の「從」の意味は、
>「帯方郡を通って」「帯方郡の先の」「帯方郡の向こうの」等である。

また、これの説明がないな、いきなり理由もなく断定w

22 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 08:42:00.56
>>20
まだ言ってるw
恥ずかしい奴

23 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 08:54:28.17
新唐書には「置本卒一人、検察諸部」とあって、1人の大卒と解釈されてる。

24 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 08:55:19.48
>>21
>これの説明がないな、いきなり理由もなく断定

『介詞「從」の用法を勉強して下さいね。
現代中国語では、介詞「从」の用法になる。』
と介詞「從」の基礎知識を得てから理解しなさいと書いた。
介詞「從」を知らずして読もうとするのは、手抜きである。
手抜きの人は速やかにあっちの世界へ行って下さい。

上記が説明だ。
以下魏志倭人に沿っての解説である。
『「從郡至倭」の視点は、中国大陸の魏の都である洛陽にある。
この場合に「倭に至るには」の「從」の意味は、
「帯方郡を通って」「帯方郡の先の」「帯方郡の向こうの」等である。

介詞「從」では、視点の起点は洛陽ではあるが、距離の起点は帯方郡である。
距離を基準にした日本語訳は「帯方郡から倭に至る」の意味になる。
経路を基準にした日本語訳では「帯方郡を通って倭に至る」の意味になる。』

25 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 08:59:27.84
>>21 

>>24の意味が分かるかな?

26 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 09:06:36.48
だから何って話だな

27 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 09:06:52.35
>>21
  
現代中国語の介詞「从」の用法は中級レベル。
初心者レベルでは、介詞「从」の用法を理解しきれない。

28 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 13:21:28.49
>>27
介詞「从」の用法話しじゃなくて
「視点は、中国大陸の魏の都である洛陽にある」・・・こう断定する根拠

29 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 13:27:38.95
>>23
ここの文章は曖昧で各国に1人の大卒が居たのか
1人の大卒で各国を見ていたのか判別できないな。

30 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 13:37:49.90
1人の本卒が諸部を検察しているとしか読めないが

31 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 13:38:23.41
>>10
伊都国は郡使が滞在するところで、伊都国に付いては特に詳しく記されている
「官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚」と官、副官の名前は記されているのに
伊都国の王の名前は一人も記されていない
また倭人伝は張政が持ち帰った情報を最新として張政が帰国した時点で書かれていて
既に倭王が魏より任命されているのに、伊都国の首長を王と呼ぶこと事態がおかしい
伊都国の王は伊都国には居なかった、伊都国に居た王は伊都国の王ではなく
倭王の卑弥呼や壹與としか考えられないだろ。

32 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 13:38:36.49
>>29
各国といっても、交易品が通る数ヵ国

33 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 13:40:32.21
>>30
それは君の決めつけ
「左右小島五十餘 皆自名國 而臣附之 置本率一人 檢察諸部」
だからな、どうとでも解釈できる。

34 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 13:42:35.14
>>33
それは君の決めつけ

35 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 13:43:13.52
>>31
卑弥呼は大倭王

36 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 15:22:58.73
>>31
だね。
逆にそうとしか読めない。
魏から王と認められていたのは誰?
という話だな。

37 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 15:35:08.45
卑弥呼が倭王。

38 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 15:43:50.81
ワオワオ

39 :九州王:2016/09/06(火) 16:55:09.31
結論
伊都国の王は実在しませんでした
伊都国に居た王とは倭王卑弥呼、壹與でした。

「丗有王」とは伊都国が倭の首都であるとの意味
「皆統屬女王國」とは伊都国を首都とする女王國に倭の国々は統屬されていたとの意味

「邪馬壹國 女王之所都」とは首都のある国の名前が邪馬壹國であるとの意味。

40 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 17:34:00.58
>>39 : 九州王

伊都国に丹山は無い。よって女王国ではない。

41 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 18:31:23.24
>>40
伊都国に丹山は無いが
伊都国に卑弥呼が居たことが明らかになったんだから
九州内には丹山が在ったんだよw

42 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 18:42:29.92
>>41
>伊都国に卑弥呼が居たことが明らかになったんだから

九州になんか卑弥呼様は居ないよ

43 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 18:58:17.50
佐賀ルートだと嬉野に丹山があるし、
熊本南部も丹山があるね。

44 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 19:59:36.29
>>43
卑弥呼の時代に「採掘」してなきゃ、だめじゃん。鉱脈があるだけじゃ、だめじゃん。

45 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 20:18:18.57
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

46 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 20:19:28.03
>>44

当時は河原で流れてきた鉱石を
採取するんだよ。

嬉野の丹生神社では採取の様子が伝承にある。
だから、採掘場所の指定ではなく
「この山に丹あり」
という表現になるんだ。

47 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 20:24:26.09
>>46
涙ぐましい叫び。

48 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 21:36:28.76
>>44
>卑弥呼の時代に「採掘」してなきゃ、だめじゃん。鉱脈があるだけじゃ、だめじゃん。

日本の何処に卑弥呼の時代には辰砂を採掘してたと分かってる場所があるんだよw

49 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 21:47:23.89
北部九州は鉄丹も水銀朱も豊富に使われているからな。

九州内はもちろん、大陸からの輸入や
四国、紀伊などからも採取していても
おかしくない。
弥生中期から半島まで鉄をとりに
行くくらいだからな。

畿内はあまり朱丹を使った形跡がなく
わずかな使用例でも、
柩に粉のまま入れるなど
あまり使い方がわかっていない。

50 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 22:09:16.63
>>19
地図にプロットしてみた。

http://i.imgur.com/JTzGTsi.jpg

51 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 23:35:03.21
>>50
各国邑の場所の特定は不可能で意味が無いな。

52 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 00:28:25.79
彌奴国と姐奴國、
對蘇国と支惟國がそれぞれ近接し過ぎててウソっぽいよな。

躬臣國の場所もなんか怪しいし。

53 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 00:49:31.98
>>28
>介詞「从」の用法話しじゃなくて
>「視点は、中国大陸の魏の都である洛陽にある」・・・こう断定する根拠

介詞「从(從)」の用法を知ること。介詞「从(從)」には、「through」の意味もある。

三國志魏書だから、読み手の視点の起点は常に洛陽にある。

54 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 02:40:14.22
http://lunabura.exblog.jp/15604815/
http://blog.livedoor.jp/ail01u9j10taw/archives/3425710.html

↑九州の物部の拠点

見事に伊都国、奴国を避けてる
伊都国、奴国は邪馬台国連合の領域
邪馬台国と物部は排他的な関係

天孫+物部が邪馬台国を征服したのが大和朝廷

55 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 02:42:18.62
>>52
巴利国は播磨
支惟国は紀伊

関西まで邪馬台国連合の領域

56 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 08:11:13.47
>>53
三國志魏書「東夷伝」だから、読み手の視点の起点は帯方郡じゃないの?
7000里は洛陽から倭まで?
韓が方可四千里有で朝鮮海峡を渡るのに3000里だよ、計算が合わないよw

57 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 10:22:59.22
>>56

>>24を参照して下さい。

>以下魏志倭人に沿っての解説である。
>『「從郡至倭」の視点は、中国大陸の魏の都である洛陽にある。
>この場合に「倭に至るには」の「從」の意味は、
>「帯方郡を通って」「帯方郡の先の」「帯方郡の向こうの」等である。

>介詞「從」では、視点の起点は洛陽ではあるが、距離の起点は帯方郡である。
>距離を基準にした日本語訳は「帯方郡から倭に至る」の意味になる。
>経路を基準にした日本語訳では「帯方郡を通って倭に至る」の意味になる。』

58 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 11:27:29.38
>>57
>>24に付いて質問してるのに>>24を参照して下さい?
回答になってないw

59 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 13:20:28.23
地下式横穴墓の分布
http://i.imgur.com/XXMRo4Q.jpg

九州物部氏の分布
http://pds.exblog.jp/pds/1/201012/13/61/c0222861_1701693.jpg

(筑後川北のわずか一ヶ所を除き)見事に排他関係

地下式横穴墓勢力=邪馬台国
九州物部勢力=大和朝廷

完全に解明

60 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 13:48:52.68
>>58
「從郡至倭」

@ 距離を基準にした日本語訳は「帯方郡から倭に至る」の意味になる。
帯方郡から倭(狗邪韓國)まで7000餘里。
韓地方可四千餘里の2辺8000餘里の大部分7000餘里。
狗邪韓國から女王國まで5000餘里、計12000餘里。

A 経路を基準にした日本語訳では「帯方郡を通って倭に至る」の意味になる。
洛陽 → 帯方郡 → 狗邪韓國 → → → → 伊都国 → 不彌國(女王國)


介詞「從(从)」の用法を知ることが先決事項。
中国語中級レベルだよ。中国語検定2級or準一級レベル?

61 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 14:04:30.59
何にも答えてないね、アタマ悪いんだろ

62 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 14:05:22.69
日本語がわからないんじゃないかな、日本語レベル10級くらいか

63 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 14:38:50.49
http://ryosai.link/archives/82

64 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 14:59:27.76
15 : 日本@名無史さん2016/09/06(火) 00:14:30.81
>倭人伝の官名と記紀の人物の対応
>
対馬国の官「ヒク」=アマテラスの息子「アマツヒコ」
>壱岐国の官「ヒク」=アマテラスの息子「イキツヒコ」←これなんかまんまだよね
>伊都国の官「ニキ」=アマテラスの孫「ニニギ」
>投馬国の官「ミミ」=アマテラスの息子「オシホミミ」
>不弥国の官「タモ」=アマテラスの孫「ホアカリ(別名クシタマ)」

これはすばらしい
こういうこともあるのか
まさに、倭人伝を下敷きに、高天原神話を上書きしたようなものだ!!

65 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 15:32:22.94
>>60
>距離を基準にした日本語訳は「帯方郡から倭に至る」の意味になる。
>帯方郡から倭(狗邪韓國)まで7000餘里。
>経路を基準にした日本語訳では「帯方郡を通って倭に至る」の意味になる。

何じゃこりゃw

>介詞「從(从)」の用法を知ることが先決事項。
独自の文法を創作したんですねwww

66 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 15:37:41.86
>>59
饒速日かあ

なるほど!!

67 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 17:33:28.09
「従」が経由で「自」が起点っていうのはいいんだけど、だから何というお話

68 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 18:30:10.46
>>67
「従」が経由なら、魏使は帯方郡庁を通らないで、倭に直接来たと言える。

魏使のルートは、黄海を東へ渡って、
京畿湾(徳積群島)で南に方向を変え(乍南)半島西岸を南進し、
珍島で東に方向を変え(乍東)半島南岸を東進し、
其北岸狗邪韓國(巨済島南岸)に到着したと言える。

京畿湾(徳積群島)から其北岸狗邪韓國(巨済島南岸)までの距離は7000里である。

更に、其北岸狗邪韓國(巨済島南岸)から對馬國(対馬北西端)までの距離は1000里である。

以降、對馬國(対馬北西端)から不彌國(吉野ヶ里)までの距離は4000里となる。

魏志倭人伝の行程距離は正確であると言うことだ。

魏使は、洛陽から淮河と山東半島南岸を経由して唐津(末盧國)まで直接船でやって来たと言える。

69 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 19:00:23.06
>>68
でも倭人伝の從郡至倭の「従」は「帯方郡から倭に至る」の意味で
「帯方郡を通って倭に至る」の意味ではないけれどね
根拠の無い妄想しか言えない人の話は無視しましょ。

70 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 19:02:59.35
  
更に、黄河が開封付近で北東方向ではなく黄河古道を南東方向へ流れて
徐州を通り、淮河に合流している時代であれば、
魏使は洛陽から倭(唐津)まで船の乗り換え無しで直接来易い。

3世紀の黄河のルートは未検証です。

71 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 19:20:48.05
>>69
  
介詞「従」には、「through」の意味と「from」の意味が同時にあります。

経路を表す場合には、「through」の意味になり、
距離を表す場合には、「from」の意味になります。

古の人は、苦しい訳をしていますね。「郡より倭に至るには」
「より」を使ったのは、「through」の意味も「from」の意味も同時にあることを知っていたからでしょうね。

72 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 19:45:05.57
東南陸行五百里 到伊都國 女王之所都 水行十日 陸行一日

73 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 19:55:28.39
>>72
そこまで捻じ曲げんといかんのか!

74 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:11:44.73
「世有王、皆統屬女王國」

魏代に伊都國には王がいた
名前がないのは、王が卑彌呼だからである

「伊都國卑彌呼」

75 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:13:54.61
>>74
そこまで捻じ曲げんといかんのか!

76 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:15:02.99
伊都国は邪馬台国ではない
諦めろ

どうしても平原を比定したいなら他の方法を考えろ

「墓だけは伊都国に置いた」とかいくらでも言えるじゃねえか

倭人伝の読み替えはただの詐欺、捏造

77 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:20:02.19
>>75
>39 : 九州王2016/09/06(火) 16:55:09.31
結論
伊都国の王は実在しませんでした
伊都国に居た王とは倭王卑弥呼、壹與でした。

「丗有王」とは伊都国が倭の首都であるとの意味
「皆統屬女王國」とは伊都国を首都とする女王國に倭の国々は統屬されていたとの意味

「邪馬壹國 女王之所都」とは首都のある国の名前が邪馬壹國であるとの意味。

78 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:21:29.72
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

79 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:22:44.92
>>77
伊都国には丹山がない。 よって、女王国では有り得ない。

80 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:42:18.36
伊都国には丹山がない・・・当たり前だろwww
女王国では有り得ない。・・・支離滅裂www
>>79バカじゃんw

81 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 22:24:56.84
卑弥呼がいたのは筑後平野または筑紫平野。
墓は平原。

82 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 23:07:00.46
>>76
>倭人伝の読み替えはただの詐欺、捏造

読み替えではない、従来の読み方が間違ってただけのこと
無理して意味の通らない読み方しなくとも
普通に読めば意味通じるし、矛盾も無いのよねw

83 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 02:37:28.01
お前も頭おかしいな
畿内説スレの畿内説くんもたいがい頭おかしいけど
伊都国と邪馬台国は別の国に決まってんだろ
勝手な結論から逆算して無理矢理読み替えるな

84 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 06:54:54.74
>>83
>伊都国と邪馬台国は別の国に決まってんだろ

これは君の誤った思い込みだ
邪馬壹國の首都が伊都國であるとして読むと
倭人伝は矛盾無く理解することができる
伊都国と邪馬台国は別の国として読むと意味不明の文書になる
つまり、伊都国と邪馬台国は別の国の方が誤った解釈だった訳だ。

85 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 07:06:42.63
きちがい現る

86 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 08:02:40.68
>>84
倭人伝にそう書いてあるんだが

倭人伝の筆者が間違ってるっていいたいの?

87 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 08:24:41.62
私は長く邪馬台国スレを見てきたが、どうも漢字表記にひきずられる初学者が多い。
そこで、皮相的な解釈に走りやすい現在の風潮を戒める意味からも、今までの反省に立って
正確な表音文字表記方式をとりたい。つまり、邪馬台国をのちヤマト政権との連想で論じるのではなく
倭国について何も知らない中国人が見聞きして書いた外国の話として純粋に扱うわけです。

邪馬台国 → ジャマティ国
伊都国 → ウィッツ国
奴国 → ヌ国

これからスレで話をするときは、上記の例文を参考にして表記の書き換えを行ってください。

88 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 08:47:50.52
>>86
>倭人伝にそう書いてあるんだが

倭人伝には邪馬壹國の首都が伊都國であると書いてある
倭人伝の筆者は間違ってない間違っているのは読む側の人。

89 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 08:52:25.50
>>88
>倭人伝には邪馬壹國の首都が伊都國であると書いてある


鹿




90 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 08:58:40.02
>>88
統合失調症を疑ったほうがいいよ

91 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 09:00:31.42
>>89が馬鹿に決まっているだろ
倭人伝は意味の通らないもので邪馬台国も何処から分からないで満足してるんだからな

全ての謎は既に解けてるだよw

92 :九州王:2016/09/08(木) 09:02:52.36
>>90
余りの完璧な説明に中傷や悪口しか書きこめないようだなwww

93 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 10:00:57.73
伊都国学芸員もついに終の時を迎えたか!

94 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 10:02:17.85
>>92
九州笑王

95 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 10:41:52.44
>>87

邪馬壹國 → シャマイ国
伊都国 → イト国(倭都國)
奴国 → ト国

96 :九州王:2016/09/08(木) 12:17:51.87
>>94
「まいりました、反論できません」との意味に取っておこうw

97 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 12:21:07.35
>>88
>倭人伝には邪馬壹國の首都が伊都國であると書いてある

何処に書いてあるんだよ阿呆
お前がそう読んだってだけの話だろ
じゃあ堂々と書いてあるのを今まで漢籍の専門家、東洋学の大家や
中国人ですら気が付かなったとでも?

どこまで夜郎自大で自惚れれば気が済むんだ九州説の連中って・・・

98 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 12:24:54.12
九州には、丹山がないのが致命的。

99 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 12:48:34.67
結局は罵りあいの罵倒合戦に
顔の見えない掲示板で意見交換なんて最初から無理。掲示板なんて自作の発表会だけで十分だ

他人の評価にいちいち食いつくなよ

100 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 12:50:55.47
吠えるだけで自分の意見がないのも掲示板

101 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 13:26:46.34
>>95
>>87

邪馬壹國 → シマ・イ国
伊都国 → イト国(倭都國)
奴国 → ト国

102 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 15:23:37.97
>>97
>じゃあ堂々と書いてあるのを今まで漢籍の専門家、東洋学の大家や
>中国人ですら気が付かなったとでも?

最初に訳した人が誤って訳して、それを誰も気づかなかったんだろうな
先生が訳したのを弟子が誤りとか言えなかったんじゃないの。

103 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 15:26:18.42
ゴタクはスルーで

104 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 15:27:30.05
このスレ見ててもぜんぜん参考にならないから他スレへ移動します。

105 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 15:33:46.48
もう来るなよ

106 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 17:54:35.50
卑弥呼は伊都国の王統に属するが、宮城のある邪馬台国は伊都国ではない近くの、例えば筑後川流域などにあり、死後は伊都国の平原に葬られた、ということかな?

107 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 17:59:17.93
>>106
根拠が全くない、空想話はもういいから。

108 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 17:59:24.67
平原は〆て弐萬戸の奴國界にある

109 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 18:00:15.91
>先生が訳したのを弟子が誤りとか言えなかったんじゃないの。

まー。これが学閥・学会体制の最大の欠点だな。
その点、顔が見えず、師弟関係の無い2チャンネルの方がはるかに、革新的で、進歩的だよ。
おかげで邪馬台国論争も、思いのほか早く完全解読にいたったってわけだ。

じゃ、またどこかで会おうぜ、、、、、

110 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 18:03:12.01
ところで、平原の意味を考えてみた。

ひら
平野ではなく、登り坂のこと。
ちなみに下り坂はさか。
例えば、黄泉比良坂は黄泉への登り坂と下り坂、つまり峠のこと。

ばる
広場ではなく、国邑のこと。
九州の原とつく地名はいずれも古い国邑。

あわせると、平原は登り坂にある国邑?
あっているかな?

111 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 18:07:09.59
怡土郡の音にひかれて
伊都を[いと]と読み為す愚は
もう卒業したほうが良い
ほんとまぬけすぐる

112 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 19:24:56.36
ここの説は10年前にサルでもわかる九州王朝と言うホームページにも書いたし
現在もウィキペディアの九州王朝に書いている
でも長すぎてあんまり読んでいる人いないみたい。

113 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 20:08:04.77
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

114 :九州王:2016/09/09(金) 08:08:04.18
「丗有王」の誤訳から始まった邪馬台国論争だが他にも誤訳が沢山あるな。

115 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 16:58:13.87
>>111
どう読むの?

116 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 17:20:38.57
怡土 いと

117 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 17:42:38.03
>>111
>怡土郡の音にひかれて
>伊都を[いと]と読み為す愚は
>もう卒業したほうが良い
>ほんとまぬけすぐる

君の主張は間違っている。そろそろ引っ込めたら?

魏志倭人伝は、魏晉の発音である漢音(華北音・中原音)で書かれている。

「都」は、漢音(華北音・中原音)であるから「と」と発音する。

呉音(長江流域音)では、「都」は「つ」と発音する。

北方民族南下流入前のシナ大陸では、時代が変わっても該当地域の発音はあまり変化していない。

118 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 18:14:35.41
馬山のやや北にある昌原茶戸里1号墓から
紀元前後の毛筆が出土していることからわかるように
倭人の大酋長蓮は漢字使いであってからに
むしろ殷代の古音をひきずっている可能性が大

119 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 18:15:58.43
誤変換で塵混ぜちゃってごめんね

120 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 18:22:12.28
殷代の古音も漢音(華北音・中原音)

西周殷商は古い華北音(漢音)。

121 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 18:28:02.12
中原の土人は順次リフレッシュしているのだから
無意味な主張しても無駄だよ

122 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 18:33:16.57
商丘(初期商)、石家庄(末期商)、安陽(殷)、洛陽(西周)は同じ言語圏。

123 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 18:37:59.63
秦(威陽)も同じ言語圏(華北音・中原音)

124 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 19:43:46.27
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

125 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 07:39:07.30
>>怡土郡の音にひかれて
>>伊都を[いと]と読み為す愚は

>君の主張は間違っている。そろそろ引っ込めたら?

「怡土」は、記紀上の表現だから、4−8世紀の命名ではないのか??

126 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 11:03:59.66
大化の改新以前は怡土縣(いとのあがた)が置かれ、『日本書紀』によるとその祖の名は五十跡手(いとて)。倭人伝と記紀が一致する。伊都国は怡土で間違いないと思われ。

127 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 11:06:40.56
× 五十跡手(いとて)。

○ 五十跡手(いそとて)。

128 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 11:12:53.94
「五十」で「い」と読む場合もあるよ
五十狭城入彦とか五十瓊敷入彦とか

五十跡手はどっちか知らないけど

129 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 11:13:26.81
ちなみに魏志倭人伝、つまり三国志の成立は3世紀後半。五十迹手と同時代の仲哀天皇は3〜4世紀の天皇なので、とりあえず辻褄は合うのかな。

130 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 11:32:00.87
日本書紀仲哀天皇の巻に、筑紫の伊都県主の先祖が五十迹手として、
神功皇后の巻に、筑前怡土郡が出てくる。
両者は違うんだよね。

131 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 11:32:53.72
五十迹手じゃないけど佐賀の基山や紀伊で祀られている木の神様は五十猛命。なんかつながりあるのかな。

132 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 12:04:12.58
神武天皇の二番目の妃は出雲出身の媛蹈鞴五十鈴媛命と言われてるが九州北部では?『日本書紀』では「媛蹈鞴五十鈴媛命」と記す。『古事記』では「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)と記している。五十や多々良は九州北部にもある。

133 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 12:17:28.47
129 : 日本@名無史さん2016/09/10(土) 11:13:26.81
>ちなみに魏志倭人伝、つまり三国志の成立は3世紀後半。
>五十迹手と同時代の仲哀天皇は3〜4世紀の天皇なので、とりあえず辻褄は合うのかな。

さよう、
まさしく8世紀の記紀の編者が、
とりあえず、辻褄を合わせた・・・、と言うのが真相だろう。

134 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 12:40:50.46
仲哀天皇記

また同時に伊都県主の祖・五十迹手も同じように恭順し、穴門の引島に姿を見せた。
天皇はこれを賞し、五十迹手のことを「伊蘇志(いそし)」と言った。
これにより五十迹手の本国は「伊蘇国(いそのくに)」と言われるようになった。
ところが、今は「伊都(いと)国」と言うようになってしまったが、それは誤りである。

135 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 12:42:57.79
>>133
倭人伝の末盧国から五百里で記紀の五十迹手だから合わせ技で伊都は怡土で糸島かなぁ。

136 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 12:57:44.38
https://www.youtube.com/watch?v=KCgo-NLiSy4

137 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 17:14:25.22
注意  以下のスレ主は自分以外のスレ荒らすから
    すでにこのスレもターゲットにされている

http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1473345401/

138 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 18:09:00.27
>>132
糸島にある産宮神社。
謎の奈留多姫がいる。
祭神の一人であり、綏靖天皇の母との社伝がある。

139 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 19:33:19.96
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

140 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 22:49:15.53
>>138
奈留多姫は豊玉姫、玉依姫姉妹と同じ一族みたいだね。海神族かな。

141 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 20:06:23.77
>>134
仲哀、神功のあたりは怪しげな地名の起源の捏造が多々ある。
日本書紀の編集者にとって、伊都国の扱いは大変デリケートだった。
古くは皇祖であるが、後に立場が逆転したからである。

142 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 22:47:48.29
海神族のあと天神族がきて500年あとぐらいに天孫族がやってくる。

143 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 16:30:38.25
天神族って具体的にどの豪族の事を指しているの?

144 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 17:57:24.96
バカの脳内だけある設定だから誰も知りません

145 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 19:36:09.39
天神族は天から神が降りてきたのではないBC219年徐福は3千人の若者、職人
たちと共に佐賀の諸富に上陸した、天神族の始まりである。

146 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 19:40:16.72
天孫族は280年三国志時代の呉が滅亡の際2万人の軍が船とともに日向に
上陸し高千穂に移動した、天孫降臨ですね、そののち奈良へ移動し出雲の国
譲りにより大和王権を確立する。

147 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 19:45:00.46
秦氏は天神族、海部氏は海神族、海人族。

148 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 19:46:20.51
物部氏は海人族

149 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 19:55:04.69
竹内、神功は海人族で大和に反旗を翻し朝鮮半島に行き新羅の助け(騎馬民族
がここで出てくるんですね)を受け宇佐神宮で打倒大和の必勝祈願をして応神
天皇とともに東征をして河内政権を樹立。

150 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 21:24:20.02
受容側の竹内は神功のパトロン
神功の出処は馬山の先の阿羅
列島側の阿那との長期的な密接な絡みから
穴門が征服中継拠点としてチョイスされた
神功は渡海してきて倭女王にすり替わった

151 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 21:29:03.25
何ですり替わる必要があったの?
どうせ畿内政権は楽勝で倒したわけだし

152 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 21:56:33.07
楚辞好きの左襟の熊楚系女王を心太しちゃった理由のひとつには
ご先祖にあたる日北孤の子のあまされて関西に追放された恨みとかのも

153 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 22:09:34.25
できれば日本語で

154 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 22:21:20.40
神功絡みの高良大明神の神裔の稲員氏は物部氏
神功は潮の満ち引きをコントロールできる玉使い
当然のこと海人族ですね

155 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 23:09:03.78
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

156 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 11:55:23.99
九州天孫族は縄文系

畿内は弥生朝鮮系

157 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 20:49:39.06
誤 畿内は弥生朝鮮系

正 畿内は古墳朝鮮系

158 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 10:25:08.02
畿内人はチョン

汚らわしい朝鮮人


汚鮮された日本をきれいに除鮮しよう!

159 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 18:41:14.26
>>1クズ(九州)王

おいキチガイクソ爺
いいに加減にしろよ

スレ使いきってから新スレなんて2ちゃんの常識だろうが
ゴミクズ(九州)

>30 名前:九州王[] 投稿日:2016/09/14(水) 06:26:10.01
>また妄想全開のテンプレかw
>根拠が全く無い願望だけだなwww

妄想ってのはお前の与太だろうが

死ねよクズ(九州)

160 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 18:52:51.77
>5. 近畿説の連中の非常に顕著な特徴は、自己紹介病という一種の精神病に罹っていること。
>とにかく、言うことがほぼ100%自己紹介。
>精神病理学的な観点から見ると非常に興味深い。

・・・これは>>1のクズ(九州)王がニュー速+のスレに書いたっぽいが

ま ん ま 九 州 説 の ア ホ ど も の こ と だ ろ wwwwww

北から南までそれこそ論者の数だけ一人一説
「俺が俺が」の比定地

「オレサマこそが古代史の謎を解き明かした稀代の天才奇才」

自己顕示欲のような塊のゴミクズ(九州)の集まりの総称が九州(クズ)説

このスレにしても「北部九州にあった」と言いつつ
>>1のクズ(九州)王の伊都国説?を押し付けてる

中身はクズ(九州)王の日記帳

大体一般に「北部九州説」と言えば山門説がいわば老舗元祖で
あと広く筑後川流域とかが一番メジャーだろうに
でもこの

  ” 自己(説)紹介病という一種の精神病に罹っている ”

キチガイの>>1クズ(九州)王にとっては自説こそが北部九州の代表ってことなんだろうな
夜郎自大、井の中の蛙、自惚れもいいところ
死ねよキチガイ爺

161 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 19:09:28.33
れは>>1のクズ(九州)王はニュー速+のスレで相変わらず

>卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳

とかほざいてるけどそもそも年代の根拠はあるのか?

須恵器が墳丘のあちこちから出てあと画文帯神獣鏡の鏡編
近くの神社にそこから出えたと伝わるのは三角縁神獣鏡だっけ?

どう見ても少なくとも箸墓より古いとみなせる材料はないと思うが

必死に畿内説に噛みつく時と
じゃあ九州内の自説の比定地を語る時じゃあ
年代やその他も平気でダブスタやらかすのがこの手のクズ(九州)

162 :日本@名無史さん:2016/09/15(木) 01:04:14.80
クズ王は邪馬台国の中に伊都国があるというヘンテコ説で
ニュー速+の電波は神武=雇われ店長説だから別人じゃないかな
ほんとどうでもいいことだけど

163 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 00:11:38.70
>卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳
の可能性が最も大きい。


邪馬壹國領域
うきは市、大刀洗町、朝倉市、筑前町、筑紫野市、基山町、
小郡市、鳥栖市、久留米市、広川町、筑後市、八女市、の8市4町
4地域に分割統治の連合国(長官1名と次官3名の4支配地域と卑弥呼直轄地久留米市)

投馬國領域
みやき町三根、神埼市千代田、久留米市浮島城島、大木町、
佐賀市諸富、大川市、柳川市、みやま市、大牟田市、の7市2町

不彌國領域
吉野ヶ里町、神埼市中心部、の1市1町
吉野ヶ里遺跡

奴國領域
佐賀市中心部、佐賀市南部、小城市、の2市

伊都國領域
佐賀市中部大和町大字久池井周辺
惣座遺跡

末盧國上陸地点
唐津市中原(中原遺跡)
卑弥呼直轄地(長官代理 一大率)

164 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 15:50:54.48
>>51
おまえさんには無理。
無理と諦めるくらいならこのスレを覗く価値もない。

165 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 23:36:48.76
伊都国は末盧國から南東に30q(一里は60mで)と書いているから、
現代の小城市になる。
邪馬台国の関門の役目の国とあるから、地形・地名にも合っている。

166 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 00:16:43.66
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

167 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:04:03.67
>>165
末盧國はどこ?

168 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:48:30.79
スレ主は北部九州説の信憑性を破壊するために
畿内説側から送り込まれたスパイだろ

169 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 21:54:44.97
伊都国は末盧國(唐津中原遺跡)から南東に48q(一里は76.5mで)と書いているから、
佐賀肥前国庁跡付近(惣座遺跡)になる。
邪馬台国の関門の役目の国とあるから、地形・地名にも合っている。

170 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 22:40:17.76
末盧國(唐津中原遺跡)は、対馬海流に流されて有り得ない。    終了w

171 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 00:11:42.02
末盧國は唐津で確定しているのでは?

172 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 06:21:57.14
>>171

末盧國は博多湾の福津で確定している。

173 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 10:51:50.63
>>170
>末盧國(唐津中原遺跡)は、対馬海流に流されて有り得ない。

壱岐と唐津湾の間には、対馬海流は流れていません。
弱い流れの壱岐水道があるだけである。

ほぼ常に北向きの早くて強い流れの海流があるのは、対馬西水道。
対馬東水道の潮流は、中程度の北向きであるが、南向きに反転する時間がある。

http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/current-map/

174 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 10:58:05.54
  
末盧國(上陸地点)は、弥生から元寇までの港(中原遺跡)があったところで確定。

175 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 11:23:12.15
>>174
防塁のない唐津は末盧國で有り得ない。

176 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 11:33:47.55
>>173
元寇でさえ唐津には着けなかった対馬東水道の「海流」

177 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 12:31:26.66
三国志は中国共産党がでっち上げて作った似非史書だった! [無断転載禁止]H2ch.net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1473951572/

↑邪馬台国の存在も否定する馬鹿が立てたスレ

178 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:03:24.45
末盧國(上陸地点)は、呼子だな
わざわざ唐津や福津まで行く理由がない。

179 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:05:45.14
手漕ぎの舟でも壱岐から呼子へは渡れるぞw

180 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:07:14.12
>>179
元寇に喧嘩売るのか?

181 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:10:08.33
>>178
いやー、呼子に行きたかったんだけど、福津に着いちゃったんだよ。

182 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 08:45:57.30
>>180
戦争で敵地に上陸するには大軍を一度に上陸させられる広い砂浜が必要だが
呼子には砂浜が無ので元寇は上陸時点に選ばなかったの。

183 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 09:06:43.38
>>182
元寇でさえ呼子には着けなかった呼子の岩礁

184 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 09:23:11.78
末盧國(上陸地点)は、福間だな
わざわざ命を懸けて、呼子や唐津まで行く理由がない。

185 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 16:10:53.66
壱岐から呼子の神集島、それから志摩の引津だなー。万葉集に歌が残ってるよ。

186 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 16:13:00.72
理由はあるだろ

魏が攻めてくる懸念があるなら上陸しやすい港は避けても不思議じゃないぞ

187 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 16:18:28.06
>>186
>魏が攻めてくる懸念

???  魏使が敵???  チミの考えが分からん。

188 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 16:25:06.69
友好国だからといって軍事的要所を見せるとは限らないだろ
将来敵になる可能性がゼロなわけじゃないんだから

189 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 16:34:52.26
>>188
チミ、ものすごい心配性?

心配性にしては、命がけの航海もできるんだ!

190 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 16:44:04.26
そりゃ当時だって心配性の人はいるだろ

191 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 01:28:08.47
不弥国から船で南に行ってんだから、有明海を南に行くしかない。
シナ人の白髪三千丈を考えれば、20日といっても不弥国から
丸太船で三日というところ。シナ人の下級役人は嘘しか言わない。
着いたところは投馬国であり、今の熊本だ。

192 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 09:46:07.53
>>183
港には一度には限られた数の船しか入港できない
港には大勢の兵士が防御の為にいるので殺され行くようなもの
上陸作戦には広い砂浜の方が大軍が一度に上陸できるから適しているだよ
君、軍事に疎いね。

193 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 16:38:27.30
投馬国は畿内説ではどこですか?

194 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 16:44:24.33
後漢鏡どころか前漢鏡ですら洛陽晋墓に副葬されている

つまり漢鏡の供給元の年代は
晋が成立する265年より以降まで下ることになる

そこから伝来する漢鏡の出土をもって年代を決めるのは慎重さが求められる

195 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 17:05:54.26
>>193
出雲と考える人が一番多いんじゃないのかな
あとは丹後や吉備あたり

196 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 18:28:33.36
妄想説だから、ひとそれぞれ、色々考えられる。

197 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 18:28:45.22
「投馬國」のコアなところは
「多婆那」でも表記される元祖「邪馬門」で
「阿那門」とか「那ヶ門」とかの呼称もある
「邪馬門」の意味は「邪馬」のバウンダリーの入口の意味で
これは東側の「女王境界所盡」の直近に接してあるところで
「女王國東渡海千餘里 復有國」とも記されている

198 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 19:42:49.61
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

199 :九州王:2016/09/29(木) 10:33:11.43
邪馬台国論争の起こりは畿内説の学者が「世有王 皆統屬女王國」を誤訳したことに始まる
「世有王」とは魏の治世に倭王卑弥呼が伊都国に居たとの意味が正しい
「皆」とは倭の国々であり「皆統屬女王國」では
伊都国を首都とする女王国に倭の国々は統属されていたの意味
倭人伝にはちゃんと答えが明記されていたのである。

200 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 10:34:30.62
ニュー速+にさっさとバトルフィールド建てろや!

201 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 10:43:49.35
sage

202 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 10:59:41.53
あげ

203 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 11:38:09.54
九州王の解釈が正しいんだとしたら魏志倭人伝の作者は文章めちゃくちゃ下手くそだということになるな

だってこんな解釈してんのこいつだけやろ

204 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 12:17:44.36
>>203
江戸時代の学者さんは分かっていたかもな
明治以後漢文かんて軽視され読解力が落ちたんだろうw

205 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 12:24:03.28
>>204
いや皮肉で言ってんだよバーカ

206 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 12:30:26.71
全く皮肉になってないなwww

207 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 13:35:02.49
皮肉が理解できないのはアスペルガーの症状です
九州王さんには診断をおすすめしますね

208 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 13:50:08.71
「世有王」を最初に「伊都国の代々の王」と訳した人は当然「魏の治世の伊都国の王」も考えたはずだ
「皆」が「世有王」を指すとして「伊都国の代々の王」と訳したんだろうが
「魏の治世の伊都国の王」と訳さなかったのは邪馬台国を関西に持っていきたかったからだろうな。

209 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 17:30:30.97
>>203
編集のプロの上野武さんの説に近いよね。

210 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 17:36:56.61
誰だよw

211 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 20:29:16.64
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

212 :日本@名無史さん:2016/09/30(金) 08:22:34.23
<福岡「伊都国」>2例目の硯 「弥生後期に文字」強まる

毎日新聞 9月28日(水)21時57分配信

福岡県糸島市教委は28日、弥生時代後期(1〜2世紀)とみられる硯(すずり)の破片が出土した同市の三雲・井原遺跡で、新たに別の硯の破片が発見されたと発表した。
同遺跡は「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の中枢遺跡で、外交文書のやり取りをしていたとする記述がある。
1例目の硯が発見されるまで国内での文字使用は3世紀ごろからとされていた。
硯が複数発見されたことで、市教委は「伊都国で文書が作成されていた可能性がより強まった」とした。

破片は板石状で5.4センチ×3.9センチ、厚さ5ミリ。
昨年12月に発見された硯と材質は同じだが、1ミリほど薄く、裏面の加工の仕方が違うことなどから、市教委は別の硯と判断した。
ただし同時代の物とみられる。
同じ遺跡から弥生時代の硯が2例発見されるのは全国初。
2個の出土場所は15メートルほど離れていた。

「魏志倭人伝」では、伊都国には古代中国の出先機関・楽浪郡(朝鮮半島北西部)などの外交使節が滞在し、使節の到着時に、外交文書の作成を担ったとする記述がある。
信ぴょう性が高まったことで、市教委文化課の平尾和久主任主査は「弥生時代は想像よりも官僚的な組織ができはじめていたのかもしれない」と話した。
2個の硯は10月8日〜11月27日、伊都国歴史博物館(糸島市)で展示される。【尾垣和幸】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160928-00000106-mai-cul

213 :日本@名無史さん:2016/09/30(金) 17:09:05.72
郡治-狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国-伊都国-奴国(距離での説明)
七千里 + 千里 +(四百里×2)+ 千里 +(三百里×2)+ 千里 + 五百里 + 百里)

= 自郡-自女王國(総距離での説明)
萬二千餘里

奴国までで12000里

「自女王國以北」・・・つまり奴国以北の意味

「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐してる監察官
「常治伊都国」・・・女王国の北の各諸国の置かれた一大率を治め(統率)ていた
つまり
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」では
「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」
の意味となる。

214 :日本@名無史さん:2016/09/30(金) 17:09:49.77
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の治世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の治世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」ことを指すと結論される。

伊都国が邪馬壹國の首都

「邪馬壹國 女王之所都」とは邪馬壹國の中に女王の都があるとの意味。

215 :日本@名無史さん:2016/09/30(金) 18:42:56.04
伊都国はどっから出てきたの

216 :日本@名無史さん:2016/09/30(金) 19:52:33.18
奴国から日向峠を越えて移動してきた。
または、海の向こうから来て奴国から王権を奪った。

217 :日本@名無史さん:2016/09/30(金) 20:35:25.35
東南陸行五百里到伊都國女王之所都水行十日陸行一月

218 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 09:43:56.43
>>213
惜しい。一部分間違いがある。

郡-狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国-伊都国-不彌國(距離での説明)
水行七千里 + 渡海千里 + 水行(四百里×2)+ 渡海千里
+ 水行(三百里×2)+ 渡海千里 + 陸行五百里 + 東行百里)
= 萬二千餘里

自郡-至女王國(総距離での説明)
萬二千餘里

不彌國までで12000餘里

伊都国-奴國間の距離
 至100里
奴國までで12000餘里

「自女王國以北」・・・つまり奴国と不彌國以北の意味


一大率についてはかなり異なる見解。

219 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 10:27:58.42
sage

220 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 14:11:11.90
>>218
不彌国は奴国の先に在る
12000里の所が2か所もはない

奴国から不彌国へ、不彌国から斯馬国へと繋がり傍国20か国を回って奴国へ戻る
この距離が「周旋可五千餘里」のことで
実測した末盧国-伊都国の500里、伊都国-奴国の100里、奴国-不弥国の100里を用いて計算で推定したもの

奴国-不弥国の100里に末盧国-不弥国間の平均距離を21(不弥国から奴国までの国邑間の数)倍し加えた。

100里 + (500里+100里+100里)÷3 × 21 = 5000里
奴国-不弥国 末盧国-不弥国の平均距離 周旋可五千餘里

221 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 17:06:22.47
>>220
あほくさ

222 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 22:53:58.39
>>220
阿保の極限

223 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 00:07:45.61
阿保の極南界だろ

224 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 09:28:52.25
>>220
>不彌国は奴国の先に在る
>12000里の所が2か所もはない

不彌國は伊都國の東にあり、
奴國は伊都國の東南にある。

行程距離表示と区間距離表示の違いについて認識すべし。

行程距離表示(移動の動詞がある表示)
郡→狗邪韓國:水行7000餘里
狗邪韓國→對海國:度(渡)海1000餘里
・・・・・
末盧國→伊都國:陸行500里
伊都國→不彌國:東行100里

自郡至女王國12000餘里が行程距離の場合のルートは、
郡→ → → →末盧國→伊都國→不彌國となる。

区間距離表示(移動の動詞が無い表示)
伊都國―奴國:東南至100里

自郡至女王國12000餘里が行程距離+区間距離の場合のルートは、
郡→ → → →末盧國→伊都國―奴國となる。

225 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 12:44:32.40
>>224
時代遅れの分岐説www

226 :224:2016/10/02(日) 15:16:02.80
>>225
>時代遅れの分岐説

分岐説ではない。

新「行程論説」である。
@移動の動詞の「有」「無」
A起点を表す介詞の「從」「自」等の用例の違い。

本文の行程の起点を表す介詞は「從」・・・「從郡至倭」
文中の距離の起点を表す介詞は「自」・・・「自郡至女王國」「自女王國以北」

227 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 15:29:10.91
おまい等って、普段は何してる奴等なの?

普通のリーマン? 学生? 歴史家?

228 :224:2016/10/02(日) 15:38:39.33
>>227

定年退職後の趣味の歴史家です。

若年の頃はエンジニアリーマン

229 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 15:46:13.66
  
現代中国語の介詞を、古代漢文の介詞学習の一助にどうぞ。

>>http://www.chinesemaster.net/grammar/%E4%BB%8B%E8%A9%9E

230 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 15:55:28.79
「从」:「從」の簡略体

231 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 16:28:40.88
○○のひとつ覚え

232 :九州王:2016/10/02(日) 17:12:16.88
>>227
電気技術系の自営業(大学は文系だがな)
単なる歴史好きw

233 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 17:43:44.49
國國の戸数・家数は國國のバウンダリーの広がりと強い相関関係があろう
國國の戸数・家数を加味してあげると
女王國は奴國バウンダリーに時期をちがえて2つあったと解される

(11,900里)
 伊都國→不彌國(12,000里)
    ↘
    奴國(12,000里)

234 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 17:48:58.89
100里は7.65kmだからちゃんと計測してあげればおよその位置は把握できるよ

235 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 19:33:03.95
>>233-234

末盧國上陸地点を、唐津松浦川右岸中原遺跡とすれば、

伊都國は、佐賀肥前国庁跡惣座遺跡となり、

奴國は佐賀城跡、不彌國は吉野ヶ里遺跡となる。

方向については、「巳」方向は時計回転向きに約20°、
「卯」方向は反時計回転向きに約10°ズレる。
これは、方向を星座の位置によって測定していた為。
この現象は、北極点の位置移動による黄道上の星座位置のズレと合致する。

236 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 19:36:20.13
>>235
対馬海流に流されて、

末盧國上陸地点を、唐津松浦川右岸中原遺跡とすることは、有り得ない。

237 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 19:39:06.99
中原遺跡だとアワビがとれないし潜水するレベルの深度も無いから無理

238 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 19:45:10.74
其山有丹も無いから無理。

239 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 20:17:30.18
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

240 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 01:56:08.61
>>236
>対馬海流に流されて、
>末盧國上陸地点を、唐津松浦川右岸中原遺跡とすることは、有り得ない。
>>237
>中原遺跡だとアワビがとれないし潜水するレベルの深度も無いから無理

唐津中原遺跡は、一大國原の辻遺跡から約750里南にあります。

虹の松原から唐津城にかけての浜堤(ヒンテイ)の南側には、
京都丹後の久美浜湾の様な湾又は汽水湖があり、大型船でも入れました。
松浦川の現河口は、江戸時代に松浦川の放水路として開削されたものです。
元寇の時にも中原遺跡は未だ港湾機能を持った港でした。

唐津城の南側の水域(湾内)は絶好のあわび等潜水漁法の漁場だったと考えられます。

241 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 02:07:31.71
>>238
>其山有丹も無いから無理。

丹(ベンガラ朱丹)の原料(リモナイト)なら
阿蘇山周辺以外の筑紫平野の周りの山でも産出する。

242 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 07:44:03.74
>>240
>虹の松原から唐津城にかけての浜堤(ヒンテイ)の南側には、
  京都丹後の久美浜湾の様な湾又は汽水湖があり、大型船でも入れました。

対馬海流に流されて、

末盧國上陸地点を、唐津松浦川右岸中原遺跡とすることは、有り得ない。

243 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 07:46:47.52
>>241
>丹(ベンガラ朱丹)の原料(リモナイト)なら
阿蘇山周辺以外の筑紫平野の周りの山でも産出する。

其山有丹(真朱)も無いから無理。

244 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 13:15:23.13
>>242
>対馬海流に流されて、
>末盧國上陸地点を、唐津松浦川右岸中原遺跡とすることは、有り得ない。

一大國原の辻遺跡から唐津中原遺跡までの約750里の海域(壱岐水道)には、
対馬海流は流れていません。

速い潮流の渡海困難な対馬海流が流れているのは、対馬の西側の海(対馬西水道)である。


対馬海流のある対馬西水道を迅速に容易く渡海する方法。

巨済島南岸(北岸狗邪韓國)から東に向かって、
対馬海流(対馬西水道)に乗って斜め横断すると、
対馬北西端に簡単に着きます。

対馬から半島への渡海は、
対馬西南端から対馬海流(対馬西水道)に乗って北方向に斜め横断すると、
釜山に迅速簡単に着きます。

245 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 13:21:14.86
>>243
>其山有丹(真朱)も無いから無理。


其山有丹(鉄丹)があるからOK。

246 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 13:29:20.08
其山有鉄 こりゃ、すげー

247 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 13:34:24.38
九州は女王国じゃないことがよくわかる。

248 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 13:56:40.01
>>244
>一大國原の辻遺跡から唐津中原遺跡までの約750里の海域(壱岐水道)には、
対馬海流は流れていません。

ウソ!

http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/daily/

249 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 14:12:27.14
>>248
九州は女王国じゃないことがよくわかる。

250 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 14:29:37.17
前から思うけど昔からヤマタイって呼ばれてた地域はどっかにあるの?
あればそこが邪馬台国じゃないの

251 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 14:34:04.39
それでヤマタイってとこが無ければ邪馬台国はヤマト国で
昔はヤマトの国て呼ばれてた近畿にあったんじゃないの

252 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 14:44:33.43
>>251
>昔はヤマトの国て呼ばれてた近畿にあったんじゃないの

近畿?はオオヤマト。

253 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 15:41:50.55
>>248
「ウソ!」と思い込んでいるのは君だけ。

1時間毎に変化する潮流
http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/current-map/

対馬海流が流れているのは、対馬の西海域(対馬西水道)です。

壱岐水道(壱岐の南海域)と対馬東水道(対馬の東海域)の潮流は、
時間経過と共に流れる方向が360°変化しています。

254 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 15:51:43.73
>>253
>壱岐水道(壱岐の南海域)と対馬東水道(対馬の東海域)の潮流は、
     時間経過と共に流れる方向が360°変化しています。

変化時間経過と共に流れる方向が360°変化するような「眼がくらむ海峡」です。

唐津方向へはたどり着けません。

末盧國上陸地点を、唐津松浦川右岸中原遺跡とすることは、有り得ない。

255 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 15:56:25.74
>>254
九州は女王国じゃないことがよくわかる。

256 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 15:58:38.25
オオヤマトは美称じゃないかなあ
その頃にヤマトトトヒモモソヒメという名前の人も居るし

257 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 16:01:58.09
>>256
>その頃にヤマトトトヒモモソヒメという名前の人も居るし

ヤマトトトヒモモソヒメという名前の人は、ヤマトの人。

近畿?はオオヤマト。

258 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 16:12:16.38
>>254
一大國で南北市糴している商人の水先案内があれば、
渡海するのは簡単なことです。

彼ら商人は、月齢と天空の月の位置と風の方向(天候)から
正確な渡海のタイミングと航路選択を熟知しています。

259 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 16:34:56.13
モモソ姫は阿波
ヤマトは阿波

260 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 16:47:25.34
モモソヒメは古代の奈良の人だった
またヤマトトトヒは倭迹迹日と漢字で表記される
あの辺りをヤマトと呼ぶのも一般的な事だったのではないか

261 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 17:15:40.25
>>260
ヤマトモモソ姫は阿波
ヤマトは阿波
近畿?はオオヤマト。

262 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 17:31:24.03
記紀には山跡、夜麻苔、野麻登の表記が多く見られる
ヤマト、オオヤマトの呼び名は混在していたのでは

263 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 17:33:26.91
>>262
ヤマトは阿波
オオヤマトは大和

264 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 17:35:16.85
古くは九州筑後に山門郡という地名があり、邪馬台国の候補と言われてきました。

265 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 18:01:32.91
九州や阿波のヤマトには3〜4世紀ごろの大きな集落跡、古墳はあるのだろうか?
魏志倭人伝によれば邪馬台国は大きな集落、巨大な墳墓があると記述があるが
畿内のヤマトにはその当時の国内最大級の集落跡、古墳がある

266 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 18:06:38.74
>>265

古墳はあるが集落はないよ。

267 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 18:06:47.07
258
>彼ら商人は、月齢と天空の月の位置と風の方向(天候)から
   正確な渡海のタイミングと航路選択を熟知しています。

そんな短時間では、渡り切れない。海流に翻弄されて、海の藻屑だろう。

そもそも、命を懸けて唐津に行く必要が無い。

268 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 18:08:36.41
>>265
うそこけ!!

269 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 18:21:14.48
>>265

大いに塚を作るとなっているだけで
その大きさは百余歩と記述されているから
むしろ近畿の古墳は大きすぎるんだよ

270 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:36:03.17
>>269
それと、卑弥呼の墓は平地にはないよ。丘陵を利用した墓。

271 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:14:26.73
>>267
>そんな短時間では、渡り切れない。海流に翻弄されて、海の藻屑だろう。

「そんな短時間」は、何時間位なの?

1000餘里の渡海だから半日位はかかると思うのですが?


>そもそも、命を懸けて唐津に行く必要が無い。

命を懸けて渡海するのは、倭人が東シナ海か黄海を通って中国大陸に直接渡る時のことでしょう。
西行の渡海は命を懸けることになるでしょう。
帰りの東行の渡海は比較的安全です。

272 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:17:24.19
壱岐や対馬の人たちは
日常的に穀物を買いに行ってるんだけどな。

273 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:19:07.93
>>272
どこへ? 根拠は?

274 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:20:06.65
>>273

倭人伝に書いてあるよね。

275 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:24:21.45
>>274
あー、福間ね。

276 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:40:01.59
九州なら吉野ヶ里を始め、大きな集落はたくさんある。
たまたま吉野ヶ里だけ整備され有名になった。
畿内には吉野ヶ里クラスの大型集落はない。
なお、邪馬台国の墓は大きいとは書いてない。
一歩が50センチならたかだか50メートル。

277 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:42:01.19
>>273-274

「無良田、食海物自活、乘船南北市糴」對海國
「耕田猶不足食、亦南北市糴」一大國

278 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:48:40.86
>>276
>一歩が50センチならたかだか50メートル。

一歩が25.5センチだから、たかだか25メートル。

279 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:55:44.97
25メートルだと平原遺跡と吉野ケ里北墳丘墓の間くらいか。
まあ、当時の王墓としては無理のないサイズだろう。

280 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 00:41:41.96
じゃあやっぱ祇園山古墳か。

祇園山古墳・・・・ 方墳(平面形が方形の古墳)、規模は東西約23.7m、南北約22.9m、高さ約6mと推定

281 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 13:25:20.10
  
女王之所都in邪馬壹國からも祇園山古墳が最有力です。

282 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 13:30:56.43
  
祇園山古墳は、女王之所都in邪馬壹國から望める高台にあったと考えられます。

283 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 15:22:50.69
なぜ、られる?

284 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 18:13:52.53
高良山の麓、筑後平野全体を見渡せる場所なので、絞り込めないですね。
高良山は筑後を代表する古刹なので、ありえなくはねいですが。

285 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 19:17:33.98
(11,900里)
 伊都國
    ↘
    奴國(12,000里)→不彌國(12,100里))→斯馬國→已百支國・・・
      ↑
    烏奴國

286 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 19:20:46.37
>>265
博多の地下には紀元前から現代に至るまでの連続した大規模な遺跡が眠っている。

287 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 19:30:58.31
(11,900里)
 伊都國■→■不彌國(12,000里)
    ↘ (山門)
   奴國@A■■■■■■■
   (12,000里)■■■■■■■
           ■■■■

女王國@三雲地区 (卑彌呼の女王國)
女王國A早良地区 ( 壹與 の女王國)

288 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 22:33:33.40
3世紀・奴国、最古の都市計画道路 博多・那珂遺跡群

見つかった道路は長さ100メートル、幅7メートル。両脇に幅70センチ、深さ60センチの溝を備えている。
那珂遺跡群の北にある同時期の比恵遺跡群など十数カ所で断片的に溝の跡が出土しており、今回の発見で、全長1.5キロの直線道路が復元できるという。

 また、道路の脇には前方後方墳1基、円墳2基が見つかった。
同遺跡の北150メートルには那珂八幡古墳があり、これらが道路に沿って並んでいる。

 市教委は「弥生終末期から古墳時代に変わる時期、奴国において計画的な都市整備が行われていたことがうかがえる」と話している。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/SEB200703080016.html

289 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 23:13:10.31
3世紀・奴国、最古の都市計画道路 博多・那珂遺跡群

見つかった道路は長さ100メートル、幅7メートル。両脇に幅70センチ、深さ60センチの溝を備えている。
那珂遺跡群の北にある同時期の比恵遺跡群など十数カ所で断片的に溝の跡が出土しており、今回の発見で、全長1.5キロの直線道路が復元できるという。

 また、道路の脇には前方後方墳1基、円墳2基が見つかった。
同遺跡の北150メートルには那珂八幡古墳があり、これらが道路に沿って並んでいる。

 市教委は「弥生終末期から古墳時代に変わる時期、奴国において計画的な都市整備が行われていたことがうかがえる」と話している。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/SEB200703080016.html

290 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 15:07:59.95
帯方郡(乍南) ・・・・・徳積島(京畿湾中央部)乍南点
↓循海岸南水行三千五百里
珍島(乍東)・・・・乍東点
↓循海岸東水行三千五百里
北岸狗邪韓國 ・・・・・巨済島南岸
↓東渡海千里
對海國 ・・・・・対馬北西端
↓東海岸水行八百里
對海國 ・・・・・対馬南東端
↓南渡海千里
一大國  ・・・・・壱岐北西端
↓循海岸水行六百里
一大國  ・・・・・壱岐南東端
↓南渡海千里
末盧國  ・・・・・唐津中原
↓東南陸行五百里
伊都國  ・・・・・佐賀惣座(倭都國 帥升王統倭國の都)
↓東行百里
不彌國(女王國の入口)  ・・・吉野ヶ里(倭國乱の頃まで繁栄した筑紫平野の中心地)

伊都國  ・・・・・佐賀惣座(倭都國 帥升王統倭國の都)
|東南百里
奴國  ・・・・・佐賀城

帯方郡 ・・・・・徳積島(京畿湾中央部)
| |水行十日陸行一月(万千四百里+約千里)
|邪馬壹國 ・・・・・筑紫平野東部内陸部(邪馬壹國城柵は八女)

|水行二十日(約二万里)天草灘経由
投馬國 ・・・・・筑後平野有明海東岸地域

女王之所都(女王城柵) ・・・・・魏使が不彌國から日帰りできる所(久留米)

291 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 15:19:02.56
久留米と書くからわかりにくい。
高良山の上ではダメか?

292 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 15:27:58.81
「其山有丹」が水銀丹であるならば、
有毒丹である水銀丹は、水銀中毒になる為「朱丹塗其身體」な事ができない。

「朱丹塗其身體」に適した朱丹は、無毒で健康に有効な鉄丹(原料リモナイト)である。


リモナイトは、現在でも家畜の餌に混ぜその健康増進に使われている。

293 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 16:31:56.46
>>291
>久留米と書くからわかりにくい。高良山の上ではダメか?

@ 女王城柵が、台地にあるならば、
  久留米大学御井学舎から久留米競輪場にかけての台地にある。

A 女王城柵が、兵と婢で千人以上の人口を養う飲料水の得やすい場所ならば、
  御井町の小川の合流地点の上流側の平地(小川が二本ある)。

B 御井町から外れた、陸上自衛隊久留米駐屯地側(高良内町)に女王城柵が有り得ます。
  2本の小川に挟まれているので。

C 高良山は、平地城柵に外敵が攻めて来たときの退避城(神籠石)だと思います。

294 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 17:52:42.27
ブラタモリみたいだな。
わかりやすい。

295 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 02:45:38.75
基本的なことだけど、魏使は何故博多まで直接船で来なかったの?
3世紀の中国なら大型の立派な船があったろうに。

296 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 07:08:24.16
直接、福間に来た。

297 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 08:42:41.09
  
魏使は博多に行っていなかった。

魏志は唐津松浦川右岸に上陸後、
東南500里(40km)の佐賀平野にある伊都國に陸行した。

298 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 09:51:32.93
>>297
魏使一行は対馬海流に流されて、唐津松浦川右岸に上陸できなかった。

299 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 10:05:05.41
>>298
それすでにつまんね

300 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 10:08:19.81
>>299
何語?

301 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 10:29:22.84
>>297
松浦川って昔はもっと東に河口があったんだよね

潮の流れは引き潮の時は流されちゃうから
壱岐からは近くの呼子に向かったと思うよ

満ち潮の時はゆるく南西方向に潮の流れがあるからね

302 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 10:40:00.28
>>301
わざわざ、流れの複雑な海峡を渡って、上陸する必要がない。

荒磯に座礁して、土左衛門。

303 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 10:48:23.32
>>302
神功皇后のことか

304 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 12:27:12.90
>>301
>松浦川って昔はもっと東に河口があったんだよね

松浦川って昔はもっと西に河口がありました。唐津城より西。

現在の河口は江戸時代に開削して、唐津湾への放流口としたものです。

305 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 12:36:13.12
>>301
魏使一行は対馬海流に流されて、唐津松浦川右岸に上陸できなかった。

306 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 12:36:37.06
>>298

コレを見よ
>>http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/current-map/

壱岐から唐津松浦川河口までは渡海し易い、潮流が助けてくれる。

307 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 12:40:04.81
>>306
わざわざ、流れの複雑な海峡を渡ってまでして、そこに上陸する必要がない。

荒磯に座礁して、土左衛門。

308 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 12:47:12.58
>>304
それ波多川だよ
松浦川は虹の松原を通ってたんだよ

江戸時代に波多川と松浦川の河口をまとめてひとつの河口にし
唐津城と虹の松原を作ったんだよ

309 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 10:01:09.87
虹の松原を作って、内海か滞水域をつくり、
良港にしたんだろ?

310 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 10:22:42.26
>>309
江戸時代にな。

311 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 15:31:38.55
>>295
博多に中国の大型が入港出来る港が整備されてなかったんだろう。

312 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 17:14:52.24
>>295

邪馬台国が肥国だったからだね。
佐賀ルートだと肥前国と肥後国しか
通らない。

313 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 00:53:19.52
すばらしいスレですね

314 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 01:02:16.14
>>312
そのまま上陸して筑後平野まで進んで欲しいな。

315 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 01:13:05.93
湾の中に入って停泊、陸地とは小舟で往復すればいいだけ、黒船と一緒だわな

316 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 03:24:41.15
>>295
博多に攻めてこられたら困るからだろ

317 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 21:47:44.05
>>308-309

虹の松原は縄文前期から縄文中期に形成された浜堤(海岸砂丘)。

その砂丘に江戸時代に黒松が植林され、虹の松原と呼ばれる。

海岸砂丘のど真ん中、虹ノ松原駅付近(鏡地区と浜崎地区の境界)に
松浦川の河口があったとする主張は地形学的に有り得ない。


唐津にはもう一本浜堤がある。

県道40号(鏡〜久里)廃線になった築肥線跡。
(地盤のしっかりした浜堤の上に鉄道レールを敷いた)
この浜堤は縄文中期から縄文後期に形成された。


松浦川 歴史 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E5%B7%9D
には誤りがある。

318 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 00:54:28.00
息長氏には丹波のタジマモリの血が入っていることは有名な話。
タジマモリは新羅王の血筋。
新羅本紀には、倭国の東の丹波出身とあり、両国の交易を行っていたことが
うかがえる。
のちに任那になる地域が狗邪韓国。伽耶と呼ばれる地域だが
この地域は鉄を産出し、筑紫から倭人がたくさん訪れたとある。

神功皇后が三韓征伐したのはこれまた有名な話であるが
魏志や記紀、考古学的発見から推測するに、倭人の影響力が強かったのは
弁韓と秦韓と狗邪韓国であったろう。

319 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 01:01:35.15
但馬って、九州の田島と関係あるの?

320 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 01:04:36.44
タジマモリは田道間守り。
畿内への入り口を守る門番

321 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 05:18:31.02
田道間守に「非時香菓(ときじくのかくのみ)」[2]すなわちタチバナ(橘)を求めに常世国に派遣させた天皇って誰だっけ?

322 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 12:02:12.32
>>317
後背湿地に川が流れてたかも知れんけど
河口は浜崎まで行くか今の河口しか考えられんね

昔は湾だったみたいだけどなぁ

323 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 16:26:46.48
浜堤
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%A0%A4

>>322
浜堤の後背地には必ず低湿地ができます。
低湿地が海面下の時は、汽水湖や小さな湾になります。
(京都府 久美浜湾 等)

湾の中にできた浜堤は、県道40号(築肥線廃線跡)の2.7kmの浜堤です。


>昔は湾だったみたいだけどなぁ

私は、松浦湾河口で虹の松原浜堤の後背低地にあった湾を、
「古松浦湾」と呼んでいます。

江戸時代に横田川の流路変更改修がなされる前は、
横田川流路は玉島川と合流して唐津湾に流れ出るのではなく、
虹の松原浜堤の南側の浜堤後背低地の東端から西に流れて
松浦川と合流して唐津湾に流れ出ていました。

324 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 12:04:51.99
狗邪韓国(韓国最南端)
↓渡海
対馬国(対馬)
↓渡海
一大国(壱岐)
↓渡海
末廬国(松浦)
↓陸行
伊都国(糸島市)
↓陸行
奴国(旧儺県(なのあがた)・福島市近郊)
↓陸行
不弥国(宇美市?)

と大体推定されてるから邪馬台国が入り込む余地ないし
九州北部だけはないんじゃないかなあ

325 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 12:46:54.74
表層流に流されて、末廬国(松浦)は有り得ない。

326 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 13:12:40.92
ちょっと前に韓国でゴムボート買って日本に密入国しようとして
九州北部沿岸で遺体で発見された国家公務員が居たよな
海流に乗れば韓国→日本に渡るのは簡単なんでないの

327 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 14:24:44.07
表層流に流されて、遺体となった!

328 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 15:02:53.09
うまいこと表層流に流されれば
無動力で金海あたりに流れ着く
列島からの出発地点とタイミングがあるみたいだね

329 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 15:07:56.46
末廬国が万津浦だとすると
伊都国(糸島市)・奴国(旧儺県(なのあがた)・福島市近郊)の
距離方位の記述がメチャメチャという事になり収拾がつかない

330 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 16:48:42.39
>>329
だから、伊都国(糸島市)・奴国(旧儺県(なのあがた)・福島市近郊)が
間違ってんだよ。

331 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 17:15:09.64
ゴタクにしか聞こえない

332 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 17:32:14.83
>>330
そうなると伊都国(糸島市)・奴国(旧儺県(なのあがた)・福島市近郊)はどのあたりの事なの

333 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 17:45:21.57
>>332

そうなると伊都国(直方市)・奴国(田川市)

334 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 17:48:07.77
またお前か

335 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 17:49:02.82
まいど〜

336 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:12:45.26
魏志東夷伝韓条

<三韓>
韓在帯方之南東西以海為限南與倭接方可四千里
韓は帯方郡の南にある。東西は海であり、南は倭と接す。およそ四千里である。
(ということは、倭の投馬国の海岸線は七千里引く四千里で三千里もある)

<辰韓>
國出鐵韓濊倭皆従取之
国には鉄が出る。韓、濊、倭の人々が皆これを採掘している。

<弁辰>
其瀆盧国與倭接界
弁辰の瀆盧国は倭と境界を接している。


魏志東夷伝韓条=韓人の支配領域を記載
魏志東夷伝倭人条=倭人の支配領域を記載
(魏志倭人伝)

以上から、投馬国(半島南部・任那)は朝鮮半島南部の倭人生息地、五万戸
狗邪韓国(加羅=伽耶)は投馬国内の主要港町であることがわかる

337 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:13:11.88
国≠クニ クニ=市町村
例:日本国の中に、山城のクニや、筑前のクニ、吉備のクニ

<地理編>
帯方郡
↓海岸水行七千里
狗邪韓クニ(倭人投馬国へ入国)
↓海渡千里
津島クニ(島の大きさ分の四百余里×2を迂回)
↓海渡千里
一支クニ(島の大きさ分の三百里×2を迂回)
↓海渡千里
末盧クニ(邪馬台国本土へ入国)
↓陸行五百里
伊都クニ(女王所在地・首都ワシントン)
↓(東南)百里
奴クニ(邪馬台国中心・ニューヨーク)
↓(東)百里
不弥クニ(外国使節逗留所)

<日程編>
帯方郡
↓(南)水行20日
投馬国(朝鮮半島南部に到着)
↓(南)水行10日・陸行1「日」
邪馬台国(中心都市の奴クニへ到着)

イギリスへ行く旅程=ロンドンへ行く旅程、フランスへ行く旅程=パリへ行く旅程
邪馬台国へ行く旅程=奴クニへ行く旅程

<総距離>
奴クニまで、〆て一万二千里でした

338 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:13:39.58
<邪馬台国の中央集権体制>

地方行政
対海郡 主:卑狗  副:卑奴母離   千戸
一大郡 主:卑狗  副:卑奴母離   三千戸
奴郡  主:兕馬觚 副:卑奴母離 (ニューヨーク) 二万戸
不弥郡 主:多模  副:卑奴母離 千戸
他20郡 合計七万戸


伊都(ワシントン)
 <政府>
  女王:卑弥呼
  政府役職:伊支馬(壱岐関係)彌馬升 彌馬獲支 奴佳鞮(奴関係)

 <首都高官>(伊都知事・副知事)
  主:爾支 副:泄謨觚 副々:柄渠觚
  
 <一大率>軍事・外交・貿易担当省
  ↓監視
 投馬国(半島南部・任那)  主:弥弥 副:弥弥那利
 狗邪韓郡(加羅=伽耶) 投馬国内の宿場港

339 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:14:04.09
手漕ぎの古代船の場合、平均1.7ノット、最大速で3ノット
天候にも影響されるので、2ノット=時速3.7kmとします

魏の使節が6月頃に来たとして、
朝8時に出航して、交代制かつ途中休憩計1時間で夕方5時まで漕いだとして
8時間×3.7=29.6km

地図で帯方郡から半島南岸まで(ソウルから釜山)が、だいたい500km
500÷30=16.7


速度と漕ぎ手労働を多めに考えて約17日ですから、
天候その他のアクシデントも考えると
帆を張って進んだ分を入れて
水行20日は妥当ですね

340 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:39:34.28
>>333
伊都国(糸島市)・奴国(旧儺県(なのあがた)は魏志倭人伝の地名とほぼそのままのに
伊都国(直方市)・奴国(田川市)が全く違う理由は何かあるの

341 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:45:03.91
伊都国(糸島市)・奴国(旧儺県(なのあがた)で
壱岐対馬を介した海外交流にも自然だし
発掘される遺物も圧倒的で自然だし
現代まで続く九州島の中枢部分
確定している

342 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:46:56.81
それを捻じ曲げてまで
他の場所を主張するのは
単に九州説を攪乱したいから

筑紫倭国で確定するのを少しでも妨害するために
九州各地を持ち出して
「九州説の中ですら確定していないのに」
と言いたいだけのこと

ある意味
持ち出された各地は侮辱されている

343 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:47:18.77
>>340
地名は好き勝手に後付けされたから。今の地名は、関係なし!

344 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 18:51:37.80
発掘物はウソを付かない
北部九州に大王がいたのは確定

345 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 19:02:30.85
女王じゃないんだね

346 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 19:08:30.13
>>343
地名を変更する時は記録にちゃんと残る
じゃないと税金取り立てる時に困るし旅人が迷子になる

347 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 19:38:24.90
好き勝手に付けた地名だから、好きなように。

348 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 20:18:55.23
そもそも直方が王都にふさわしい地には思えない。
糸島平野は多くの状況証拠が多重にそろっているから、おそらく伊都で間違いない。

349 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 20:25:47.59
君がそう、思えないだけだから!

350 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 21:59:15.42
宗像も田川も後世に登場するが、直方は他県の人間にとってはほとんど聞いたことがない地名なんだが。

351 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 22:16:06.26
直方はノー

352 :日本@名無史さん:2016/10/20(木) 23:33:05.90
直方は自然災害が少ないから定住に向いてたと思う

353 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 09:56:19.58
>>348
邪馬壹國の首都は「世有王皆統屬女王國」の伊都國で間違いない。

354 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 09:59:56.87
>>344
それは2世紀末までの話な

平原の王を最後に服装品が貧弱化してホタテ貝式古墳を作り出してるからな

ホタテ貝式古墳を作り出してるってことはヤマト王権の所属領域になったということ

355 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 10:01:24.63
>>354
畿内説の人は息をする様に噓を吐くなw

356 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 10:20:13.92
>>339
魏の使節は帆船
これは揺るがない
対馬壱岐間は1日の日が昇ってる間だけで着く

357 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 10:37:25.42
>>354
その平原の時代の話をしているのだろうが。
後世のことと意図的に混同しているな。
平原遺跡は200から250年頃、卑弥呼の即位は180年頃だ。
卑弥呼の治世は筑紫の伊都国の最盛期だよ。

358 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 10:48:11.86
>>357
最盛期ということは以後衰退するということ
AD200年頃をピークに衰退
卑弥呼の治世の時代に伊都国は衰退しているということ

359 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 10:51:19.94
>>356
当時の帆は三角帆じゃないから追い風がないと使えないので主動力は手漕ぎ
対馬壱岐間を1日の日が昇ってる間だけで着くなんてよほど運良く追い風が吹かないと着かないな。

360 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 11:21:04.10
>>359
支那の船は三角帆でも四角帆でもない別の帆だよ
切り上がり性能はかなり高いもの

361 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 12:28:04.54
>>360
当時の支邦船の帆では切り上がりとかできませんよw
通常は手漕ぎ走行で追い風があれば使う程度の船。

362 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 18:38:41.86
支那の船では来ていないよ

距離測定がアバウトすぎるだろ
測量員が同行していなかった証拠だ

そして世界最大の難所でもある対馬海流越えを
測量員なしにはできない

持衰の記載があることからも
倭船でやって来たことが明らか

363 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 20:17:07.59
>>358
女王国が倭人伝の後どうなったのかは謎。
200〜250がピークでもかまわないと思うがね。
周辺の遺跡は古墳前期まで存続してる訳で。

364 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 20:35:45.07
>>362
その見方はおもしろい

>>361
手漕ぎなんてしてるはずないだろ。どこの夷人の話だよ
ジャンク船を舐めすぎ。昼夜で2000里航行するんだよ

365 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 21:23:17.06
>>363
それはつまり、卑弥呼の治世が伊都の最盛期であったということ。
247年の卑弥呼の死後にも乱があり、伊都は衰退する。

366 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 21:23:36.94
>>364
>ジャンク船???  いつの時代の話だよ!!!

367 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 21:56:15.98
>>366
紀元前からあるよ

368 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:06:51.76
>>362
帯方郡と倭は公孫氏時代から交流があり
帯方郡の役人の中には何度も倭を訪れたことのある者もいたはずだから
案内させれば問題ない
魏の軍人が倭の舟なんか利用するはずもなく
魏の船で帯方郡から船出したんだよ
当時は楼船と呼ばれる手漕ぎの大型船を使っていた
帆も付いてるがおまけ程度のもの。

369 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:08:32.45
>帯方郡と倭は公孫氏時代から交流があり

漢の時代は交流があったので、ある程度の記録は残っていたでしょうが
公孫氏時代の交流の痕跡はありますか?

張政は軍人ではなく文人官吏

370 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:11:54.56
>>368
沿岸、大河用の軍船できたん?

371 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:12:03.83
>ガレー船時代の海戦戦術
>古代からガレー船が帆船に置き換わった時期
>1600年代初期までの間の海戦の戦術である

>古代から中世の16世紀まで、海戦の武器は次のようなものだった。
>1.船そのもの。敵船を打ち壊すために船首には衝角が装備されていた。
>2.船員や戦闘員の刀槍に類する白兵戦用の武器。
>3.飛び道具、すなわち舷墻に固定された石弓の矢、弩、弓矢




銅矛最強

372 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:12:34.62
>>365
卑弥呼と台与の間に遷都があったとはどこにも書いてない

台与の都が奈良なら卑弥呼の都も奈良でなければならない

373 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:12:57.48
>ガレー船(ガレーせん、galley)は、
>主として人力で櫂(かい、オール)を漕いで進む軍艦

>古代に出現し、地形が複雑で風向きの安定しない地中海やバルト海では
>19世紀初頭まで使用された

374 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:14:20.38
魏使は手漕ぎ(といっても大人数交代制)の船で来日した

375 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:22:57.64
>>369
是後倭韓遂屬帶方

376 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 22:26:23.45
>>369
張政は軍人でしょ
塞曹掾史は、国境守備隊長のような役割であり、実務経験の豊かな下級武官と考えられる。

377 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 23:01:11.39
>>367
>紀元前からあるよ

大嘘

378 :日本@名無史さん:2016/10/21(金) 23:16:09.98
>>376
エビデンスが出て守備隊長説はなくなった

379 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 00:28:26.47
>>377
紀元前200年の漢にはあったことが確認されてる
楼船はジャンクの船体に楼と漕を追加したものな

帆船の発祥地だって知ってて言ってるん?
紀元前後ってインド洋から支那海を帆船が行き交ってる時代だよ

380 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 07:14:35.27
>>379
>紀元前後ってインド洋から支那海を帆船が行き交ってる時代だよ

根拠なし 大嘘

381 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 07:28:05.39
ガレー船は紀元前2000年の話だしな

382 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 08:08:47.00
>>378
どんなエビデンスが出が出たの?

383 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 08:16:09.23
>>378
どんなエビデンスが出たの?

「が出」ダブった

384 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 09:22:59.78
>>382
過去ログにあるよ

385 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 09:52:34.12
>>384
何処にあるか知らん
それを書いてよ

386 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 10:00:37.47
>>385
ほれ
http://baike.baidu.com/view/1769475.htm

兵政官員:
 兵曹掾史,主兵事→こっちは軍人

政法官員:
 塞曹掾史, 掌辺塞之職。 →こっちは国境の要塞の職を司る政治職員

387 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 10:06:25.50
>>385
横だが
楽浪郡のあったところから引退後の張政の何かが出てきた。
何かを忘れたので検索してね。出てくるよ。

388 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 10:41:35.05
通説には嘘が多いですね
塞曹掾史は武官だとうっかり信じていました

389 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 10:44:34.83
>>381
ガレー船は16世紀頃まで軍用船として多く使われていたよ
レパント沖海戦とか。

390 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 10:48:20.36
ジャンクの登場は宋代くらいからだろ。

391 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 10:51:30.09
>>364
>手漕ぎなんてしてるはずないだろ。どこの夷人の話だよ
     ジャンク船を舐めすぎ。昼夜で2000里航行するんだよ

無知で大ウソつき

392 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 10:52:43.12
>>386
張政は文官で参謀といったところかな

393 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 10:56:57.62
>>389
紀元前20世紀から大砲が主の武器になるまで
軍船はガレー船、遠洋貿易は帆船だったんだな

>>380
支那がインド貿易をしてたのは漢書に記録がある

394 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 11:00:38.17
>>390
宋のころ出来たのは大型のジャンクね

395 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 11:07:12.44
魏の時代は手漕ぎ!!

396 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 11:10:55.67
>>393
支那がインド貿易と貿易はしてただろうが
使用してた船に付いての記述は?
漢とインドの貿易ならインドのダウ船じゃないかな。

397 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 12:37:33.32
三国時代のジャンク
http://4travel.jp/travelogue/10540376

398 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 12:39:35.73
三国時代のジャンク

http://blogs.yahoo.co.jp/kamitukeno_k/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fblogs.c.yimg.jp%2Fres%2Fblog-42-2c%2Fkamitukeno_k%2Ffolder%2F1869355%2F95%2F58249795%2Fimg_1%3F1457740080&i=1

399 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 13:46:11.47
三国時代では楼艦が当時の大型のジャンクなんだよな。

400 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 14:31:34.94
魏の時代のジャンクは手漕ぎが主で帆は補助動力だね。

401 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 15:37:31.42
ジャンクって木造帆船って意味の東南アジアの言葉なんだけどな。アホなこと書いてるのが何個か見えんね
元々前漢より前は支那の南海貿易は東南アジア人がやってたんだよ

402 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 20:42:28.14
中国の船を他の国の船と区別してジャンクと呼んだだけみたいだな
時代と共にジャンクの形も変わって行ったんだな。

403 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 23:27:52.45
交州が支那の勢力に入ったのは漢の時
それ以前はカンボジアの勢力下だった
カンボジアで使われてた帆船がジャンク船

後漢は交州から南海貿易をしてたからか航海術の文献が残ってる
三国志時代の呉の文献には4本マストの帆船が残ってる

魏に帆船があったかは今の所確認する術がない
考古学的には何も出てない

404 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 00:32:43.55
公孫氏が滅びた遼隧の戦いも陸路

紀元前3世紀に始皇帝が中国統一して街道を整備したんだし
中国の基本は陸路

一方の日本列島はヤマト政権が統一する遥か前なのだから
基本は海路

405 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 03:37:19.40
>>404
公孫が滅びた戦いは本体が陸路だけど
別働隊が海路から先に帯方郡と楽浪郡落としてるよ

406 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 07:30:27.40
海船を新たに建造したとあるので川船とは違うんだろうな

407 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 07:45:33.24
海路から攻めてるから帯方郡や楽浪郡周辺は道路がまだ未整備だったんだろうな
張政が倭に出張する頃は帯方郡に別働隊が使ったような軍船が残ってたんだろう。

408 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 08:05:24.99
>>407
挟み撃ちなので未整備ということじゃない

409 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 11:37:07.37
南海貿易は最近のバーグ裁判で問題になってたみたいだな

410 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 13:11:27.33
卑弥呼のヤマト国は北九州にあった。
北九州ヤマトが高天原で、日向三代が宮崎、3世紀末東征で、
アスカヤマト国。
アスカヤマトの祖先神は大姫と豊姫の2人。

411 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 16:10:57.16
日向三代は福岡県。
筑紫の日向。
宮崎県に日向国が成立するのは景行天皇の時。

412 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 17:51:21.70
どうかなあ

卑弥呼は伊都だと思うけど
日向が福岡なら記紀にそう明記するだろうし
卑弥呼もそのまんま登場させると思うのだが

413 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 17:53:40.55
記紀に筑紫の日向って書いてあるぞ

414 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 17:57:33.13
なお、卑弥呼は崇神天皇、トヨは娘の豊鍬入姫命

415 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 18:34:52.74
崇神ははんこ貰ろた印惠命だから
難升米王と同じひとで
梨津臣命の名をも残し
倭王だったから詔書と黄幢もあてがわれておだてられて
黄幢使用して募兵をつのり
その直後に御眞木入日子で
謂所知初國之御眞木天皇也

416 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 19:48:06.39
>>413
>記紀に筑紫の日向って書いてあるぞ

だから、それ、九州の地名じゃないから!!

417 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:18:12.53
>>416
ほー、じゃどこよ、根拠は?

418 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:36:05.29
>>416
なんだって〜!
w

419 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:40:16.10
記紀は筑紫と筑紫國を使い分けてるとこと分けてないところがあるからめんどくさい
大体の国が付いてない筑紫は九州島または九州島の支配領域のこと

420 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:41:28.88
古事記は筑紫島と竺紫と使い分けてるが
天孫降臨は「竺紫の日向」

421 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:42:04.11
>>419
筑紫島と書いていない限りは、筑紫と言えば福岡県のこと。

422 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:54:29.84
>>421

筑紫島の日向と書いていない限りは、竺紫と言えば福岡県以外のこと。

423 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:56:26.98
>>422
だからどこよ

424 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:57:31.60
>>422
イミフ

425 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:57:47.71
ちなみに竺紫には岡田宮があるな

426 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 20:57:52.35
>>423
九州島以外。

427 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:16:51.34
>>424
筑紫島の日向と書いていない限りは、竺紫の日向と言えば福岡県以外のこと。

428 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:17:57.18
>>421
福岡県でなくて筑紫国のことと言いたいよね?

429 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:20:04.55
>>427
筑紫島の日向と書いていない限りは、竺紫の日向と言えば九州島以外のこと。

430 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:21:07.18
古事記で一番意味わかんないのは
即自日向発、幸行筑紫
だな

431 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:21:36.08
岡田宮は現北九州市に存在

432 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:23:46.00
竺紫君石井
も難しい

433 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:24:26.69
筑紫島とは九州全体で筑紫は福岡県のこと
筑紫島の日向なら宮崎県
筑紫の日向なら福岡市の日向。

434 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:26:45.24
>>433
「竺紫の日向」と言えば九州島以外のこと。

435 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:29:45.76
>>433
え、磐井の乱も九州でなかったの??

436 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:31:29.30
だから、九州説は「其山有丹」に該当しないんだから、最初っから適用外なの!!

437 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:33:53.78
>>433
横ですが
あまり相手にしなくていいですよ
貴方の主張は見たら明らかですので

438 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:34:34.96
>>433
古事記だと
竺紫
筑紫
筑紫嶋
なんだよ

筑紫は筑紫の国、今の福岡県の一部とわかる

竺紫は、わかんないんだな
竺紫の日向を発つって筑紫に向かうんだぜ

439 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:35:46.37
>>436
コピペのゴミは出てこなくていいよ

440 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:38:32.86
>>438
>竺紫の日向を発つって筑紫に向かうんだぜ

竺紫の日向を発つって九州島以外に向かうんだぜ

441 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:40:34.26
>>440
意味不明なこと言ってんな
筑紫の意味は何処と言いたいんだい?

442 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:42:51.99
九州島以外。

443 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:47:09.15
>>442
じゃあ筑紫国は?

444 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:47:35.78
>>438
>筑紫は筑紫の国、今の福岡県の一部とわかる

なら、筑紫嶋は福岡嶋か???

445 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:50:43.13
>>444
違うけど何か?

446 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:53:27.37
>>445
筑紫嶋が福岡嶋じゃないなら、筑紫は福岡じゃない。

447 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 21:59:48.20
だから、九州説は「其山有丹」に該当しないんだから、最初っから適用外なの!!

448 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 22:31:12.37
単に九州を代表するのが筑紫だからだろう。
部分の名前で全体を表すのは珍しいことではない。
ヤマトが日本全体を表すようにね。

449 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 22:56:36.59
>>448
>単に九州を代表するのが筑紫だからだろう。

筑紫嶋が福岡嶋じゃないなら、筑紫は福岡じゃない。

よって、筑紫は九州を代表していない。

450 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 22:58:51.13
はい屁理屈

451 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 23:00:07.67
はい論破

452 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 23:04:12.33
だから、九州説は「其山有丹」に該当しないんだから、最初っから適用外なの!!

453 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 23:20:29.74
崇神が卑弥呼って?馬鹿じゃないの。2,3回死んでください。

454 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 23:52:48.83
一つの熟語に複数の意味があるって
結構理解できない人達はいるみたいね

455 :日本@名無史さん:2016/10/24(月) 00:10:25.87
根拠もなくあの人物とこの人物は同じとかやっていても真実には近付けない。

456 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 10:12:43.76
だから!
大阪は高槻市の田能だと何度言えば

457 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 15:06:12.09
184年ごろの卑弥呼と230年ごろの卑弥呼は別人だと思ってるんだけど、どうかな

458 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 17:11:57.97
卑弥呼が役職名ならあり得ますね

459 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 17:33:00.80
新羅本記の基資料が干支で書かれてたんだ
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。[出典:新羅本紀]
これは60年ずれて233年の記事だな。

460 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 18:42:04.47
阿達羅紀(AD213-AD243)
二十年(AD232)五月
倭女王遣其弟狛比古等 獻其土物 請交易物貨 乃立倭典 與之通聘

461 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 19:53:04.07
新羅の歴史を60年古くしてるんだろうな。

462 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 20:04:16.34
>>460
ネット新羅史だよね

463 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 20:05:51.98
そうすると、卑弥呼の一番古い記事はどれになるのだろう?

464 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 20:23:24.06
>>453-462
2世紀3世紀には、未だ新羅はない。
2世紀3世紀の新羅は、妄想新羅史である。
2世紀3世紀の新羅は、妄想豊かなチョンの脳内にあるのみ。

465 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 20:31:40.51
>>456
そんな説あったか?

466 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 20:32:01.90
>>464
当然そういう前提に決まってんだろ
わざわざ言うまでもない

467 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 20:46:15.62
辰韓の中の斯盧国が新羅になったとされてるから
3世紀にはまだ斯盧国。

468 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 20:59:21.66
>>464
それってもれなく半島に住まう倭人の酋長だからね

469 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 02:56:30.22
邪馬台国は大牟田市にあったらしいな

470 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 11:53:08.08
ねーよwww

471 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 18:20:39.73
ここは東遷説なの?

472 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 19:45:10.77
東遷はなかった説。

473 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 19:50:10.61
急に東遷説、やめたみたいだな。

474 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 12:34:03.32
草書体では投と殺はまったく同じですから
投馬国=殺馬国=薩摩国=鹿児島県

475 :日本@名無史さん:2016/11/13(日) 21:37:27.14
>>469
大牟田市も邪馬壹国の一部だね
投馬国は朝鮮半島南岸です
鹿児島県は狗奴国ですね。

476 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 07:22:50.04
倭人伝には女王国の北方の諸国に一大率を配置し
伊都国で一大率を治めていたとあり
伊都国が邪馬壹国の首都であることは間違いない。

477 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 09:12:20.82
断定できる度胸に乾杯

478 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 13:19:39.12
「世有王皆統屬女王國」とあるし、奴国までで萬二千里だから伊都国が邪馬壹国の首都以外に考えられない。

479 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 13:23:16.33
>>478
だから、九州説は「其山有丹」に該当しないんだから、最初っから適用外なの!!

480 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 14:29:41.80
やだあ、やだあ、やだああ
伊都が邪馬台国じゃないと僕絶対やだよう
おかあぁあああさん、頭のいい人たちが僕の夢を粉々にしてるうう
僕、もうじぇったいやだにだあああ

481 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 14:33:34.27
どれくらい我慢できるか計測中www
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

482 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 15:34:12.82
>>480
伊都国が邪馬壹国ではない
邪馬壹國は北部九州全体
伊都国は邪馬壹国の首都
南部九州が狗奴国
お前らみたいな頭の悪い連中が未だにグダグダ言ってるだけw

483 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 16:34:36.15
>>482
だから、九州説は「其山有丹」に該当しないんだから、最初っから適用外なの!!

484 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 18:43:31.40
郡より伊都國までは〆て11,900里だから
伊都國より女王國へは
あと残すところ100里ですねえ

伊都國に女王がいるわきゃねえだろ

485 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 18:51:32.52
伊都國におった王のは
インベーダーの天孫族の海人でしょ
爾支ってのがボスなのね

486 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 18:54:28.47
>>484
戸数二萬戸の奴国が女王國の中心地
女王の居る場所は「世有王(魏の治世に倭王が居た)」と記された伊都國。

487 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 19:06:43.01
女王の居た場所は「世有王(魏の治世に倭王が居た)」と記された[伊都國]ではなくして
[三雲地区]と[生の松原]直南に[女王國]は時代をずらせて2ヶ所あった

律令制下の[怡土郡]と[早良郡]は20,000戸の[奴國]界に含まれる
律令制下の[志摩郡]が[伊都國]

488 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 19:16:39.73
伊都国を騙るのはもういいかげんにしてくれないかと

https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BC%8A%E9%83%BD%E5%9B%BD%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8/@33.5365462,130.2506321,18z

489 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 20:23:34.47
>>484
100里なら約8キロしかないぞ。
糸島平野を出ていない=糸国の中じゃないか?
太宰府にすら届かない。

郡から伊都まで10500里と数えると、筑後まで届く。
祇園山が視野に入ってくる。
まあ、出土品から見ると平原だけどな。

490 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 20:24:24.84
>>485
ボスの名はニニギな。

491 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 20:28:48.79
>>487
早良郡はいいけど、怡土郡は奴国に含めるのは地勢的に無理があるのでは?
志摩郡に女王がいたら、怡土国までの間に記載されるのでは?

492 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 20:29:45.03
>>489
筑後まで届く必要がない
邪馬壹國は北部九州全体であり
筑後も邪馬壹國一部、傍国のどれか。

493 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 20:44:49.86
志摩郡に女王はおらなんだ
志摩郡におったのは男王で大夫(をふ)の難升米とかでしょ
怡土郡の三雲におったのが卑彌呼
早良郡の都地におったのが壹與 みたいなかんじだろ

伊都國から東南8kmのところって まさに三雲だろ
三雲は奴國界の重要な一部で委奴國王墓のもあるしね

494 :日本@名無史さん:2016/11/16(水) 08:45:16.59
倭人伝を書き写す時に目がわるくなってるので、柿間違いが3500回くらいしてるかも。

495 :日本@名無史さん:2016/11/16(水) 08:51:13.62
全部アイヌ語の発音ならどうする、漢字をあてただけで。

496 :日本@名無史さん:2016/11/16(水) 09:17:37.52
>>494
目が悪いんじゃなくて、
まだ紙が貴重な時代で原本は木簡や竹簡に書かれていたから
字が滲んで見間違えることも多かったんだろう
一支國が一大國とか一日が一月なんて見間違える可能性大だけど
南と東は字が滲んでも見間違えることは無いよな。

497 :日本@名無史さん:2016/11/17(木) 07:27:08.71
>>495
漢字の読みが同じなら結果に変わりはない。
古代の言語の分類は現代と違う。
まあ、古代の倭語はむしろ百済など朝鮮半島の言葉とほぼ同じで区別はなかったという説もあるくらいだし、蝦夷の言葉も同じだったかもしれない。

498 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 10:52:53.35
平原遺跡について

・1号墓(女王墓)と2号墓(陪臣墓)が周溝を共有しており、
方形周溝墓と円形周溝墓が共通の周溝で囲まれた一体の墓域だった
・出土品は国宝指定
・周溝の一部を発掘しただけで合計10基の土壙墓(殉葬墓)

<1号墓(方形周溝墓、18×14m)>
・割竹形木棺(下半身を東南の日向峠へ向ける)
・琥珀製耳璫 3(女性用高級装飾品、国内唯一の出土)
・メノウ製管玉12、ガラス製勾玉3、ガラス丸玉 約500、ガラス小玉 約500、ガラス管玉 約30、ガラス連玉 約900 (ヒスイ無し)
・鉄製素環頭大刀 1、鉄鏃多数
・大型内行花文鏡4面(日本製、直径46.5センチメートル=八咫、国内最大)
・方格規矩鏡 32面、内行花文鏡 2面、四螭文鏡 1面(以上、国内最多銅鏡)
(9割以上が仿製鏡で、舶載鏡は前漢鏡1後漢鏡1だけ=籠神社の伝世鏡と同じ組み合わせ)

<2号墓(円形〜隅丸方形周溝墓、周溝を含んで径10m)>
・丸太木棺
・土器片
・前漢鏡3

<18本の柱穴>
・うち2本は東南の日向峠へ向いている鳥居か

499 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 10:54:23.64
以上を要約すると

平原遺跡は女王墓である。

平原遺跡の1号墓と2号墓ならびに柱群は周溝を共有する複合墓域である。

その周溝のうち、発掘された部分からは殉葬墓と考えられる土壙墓が10弱見つかっている。
周溝の残りを全て発掘すると相当数の土壙墓が見つかる可能性が高い。


年代を決めるのは
1号墓の装飾品と銅鏡
2号墓の土器
が決め手となる。

2号墓の土器は西新式土器など近畿でいう庄内期のものであり、210-250年と考えられる。
銅鏡については国内に類を見ない多数の仿製鏡、並びに国内最大の銅鏡を製作していることから、三角縁神獣鏡の直前期。
そして装飾品については、考古学専門家の鑑定によって、200-220年と推定されている。

500 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 10:55:05.36
漢帝国の威光を伝える前漢鏡・後漢鏡だが、後漢は220年に滅亡してしまう。

だが、後漢の後の魏(220-265)、そして魏の後の晋(265-420)代の墓である
洛陽晋墓に、後漢鏡のみならず前漢鏡すら副葬されていることから、
漢鏡はかなり後の時代まで中国大陸に存在していたことがわかる。
よって、供給源は3世紀後半までは保たれていたことが確定。

一方で、公孫氏が遼東太守に任命されるのが189年、帯方郡を設置するのが204年である。
236年には公孫氏はついに魏に反旗を翻して、本格的に敵対する。

つまり、日本への漢鏡の供給ルートは、
早ければ189年。遅くとも236年に絶たれたことになる。

銅鐸が大型化するのには300-800年、
銅矛が大型化するのには300年ほどかかっているが、
それら銅鐸銅矛などの先行青銅器の国産技術を持っていたので、銅鏡を国産化するのにそこまで時間はかからなかったであろうが、

手持ちの漢鏡から複製を開始して、精緻を極めるまでの年月。
その複製鏡を数年数十年は使うとして、そこから大型化を開始して一つの形にまとめる年月。

189年から国産化を開始したとしても、10年20年では大型化まではたどり着かないだろう。

平原遺跡の銅鏡年代が、3世紀後半に入ることは確実と思われる。
いや3世紀後半ですら、大型内行花文鏡を4面も作製するのは驚くべき技術力なのである。

501 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 10:55:34.01
徳川将軍家康から家慶までの生母一覧
(西洋医学の入る明治維新前に死去)

於大の方(1528-1602)74歳
西郷局(1552-1589) 37歳
江(1573-1626)   53歳
宝樹院(1621-1653)32歳
桂昌院(1627-1705)78歳
長昌院(1637-1664)27歳
月光院(1685-1752)67歳
浄円院(1655-1726)71歳
深徳院(1688-1713)25歳

25歳で出産として推定
至心院(不詳-1737家治出産-1748)35歳±?
お富の方(不詳-1773家斉出産-1817)44歳±?
香琳院(不詳-1793家慶出産-1810)43歳±?

江戸将軍の生母の平均年齢が
確実な9人で「52歳」
推定の3人も含めると「49歳」

50歳と仮定できるだろう

502 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 10:55:58.57
一方で、卑弥呼の年齢について考えてみる
卑弥呼が女王になったのが180-190年と言われているので、
計算しやすいように、即位187年死去247年(在位60年)と仮定してみる

複数の文献に
卑弥呼はある程度年長となってから女王になったとある

187年に20歳で即位した仮定すると
247年に20+60=80歳で亡くなったことになる

187年に30歳で即位した仮定すると
247年に30+60=90歳で亡くなったことになる

503 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 10:57:19.31
弥生時代の女性の平均年齢は20歳を切るとの報告もあるが、

江戸時代の王母で平均50歳だから
弥生時代だと平均40歳くらいに設定してみる

考古学の成果を尊重すると
平均40歳で亡くなっていた弥生女性の副葬品と考えた時に、
平原遺跡の被葬者の副葬品は200-220年のものと推定される

だったら
被葬者が80歳で亡くなった
しかも鬼道を得意とするシャーマンだった場合
(副葬品は呪術用具であり、生涯にわたり大事に使い続ける)

同世代の女性が死亡した平均年代の
約40年後に卑弥呼は死亡したことになる


考古学の専門家:200-220年

考古学の無視する魏志倭人伝によると 、卑弥呼は長寿なので+40してみる

「240-260年」

504 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 11:36:23.49
「年已長大」
よく見かける誤訳にこの「長大」をかなり歳をとっていたとしているが、
「長大」とは成人していることをいう。

http://cjjc.weblio.jp/content/%E9%95%B7%E5%A4%A7

505 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 19:07:26.68
>>1 クズ(九州)王
おいゴミクズ(九州)

畿内説スレを荒らすのは止めろ

506 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 19:13:58.92
そもそもここのスレタイがなんで「北部九州にあった」なんだ?

結局は>>1クズ(九州)王の邪馬台国=伊都国スレだろ?

少なくとも邪馬台国の位置論争に関して「北部九州」と言えば
むしろ九州説では老舗の山門もある筑紫平野の方がメジャーだろうに

507 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 21:33:09.34
>>1
>>506

「邪馬台国=伊都国」ではない。

邪馬台国は、女王の居所があるから女王國を構成する一国である。
伊都国は、郡から11900餘里の行程にある国であるので、女王國に属さない。

不彌國は、伊都國の東100里の行程にあるから、
郡から行程12000餘里にあり女王國を構成する一国となる。

末盧國を唐津とすると、その東南500里(38km)にある伊都國は佐賀平野となる。

伊都國の東100里(8km)にある不彌國は女王國を構成する一国であるから、
女王國は筑紫平野(佐賀平野・筑後平野・北野地域平野・白石平野)になる。

筑紫平野の風土(面積・気候・水利)であれば、女王國約14万戸(45万人)を養える。

女王國構成国(奴國・不彌國・投馬國・邪馬壹國)
1戸≒4人(一夫二婦制の戸)、参考:呉と蜀は1戸=5〜6人

508 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 20:43:16.48
>>505
言いがかりはよせよw
畿内説スレなんて興味ないwww

509 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 20:46:07.91
>>506
邪馬台国=伊都国ではありません
伊都国は邪馬壹國の都
邪馬壹國は北部九州の国邑の連合体
筑紫平野も佐賀平野も邪馬壹國の一部。

510 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 20:49:25.07
>>509
倭国はどこいっちゃたの?

511 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 20:56:25.54
[女王界]+[自女王國以北]+[投馬國]=[倭國]
90,000戸 + 10,000戸 + 50,000戸 = 150,000戸

512 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:00:42.09
>>510
倭国は地域の名
国の邪馬壹國は固有名詞だな
韓国の中に馬韓、辰韓、弁韓などの国が在るのと同じ
韓国は地域の名、馬韓、辰韓、弁韓は固有名詞。

513 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:06:05.04
地域の名前に魏は王印を与えたのかw

514 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:10:11.03
>>513
そうだよ邪馬壹國の王としてではなく
魏は卑弥呼を倭全てを支配する唯一の王として認めたのさ。

515 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:12:40.53
>>514
そうだよじゃなくてさ、全例はあるの?

516 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:14:54.66
妄想度が増したな、誰だこのごみスレあげたの

517 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:22:20.15
>>515
「漢委奴國王」これも奴國王ではなく、倭奴國王(倭國王)に任命したものだな。

518 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:25:28.22
倭奴国王と倭国王は違うだろ、全然ダメ

519 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:31:48.88
倭奴とは匈奴の様に蛮族と見なして奴を付けたもの
倭奴國王=倭國王

520 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:34:10.34
[委奴國王]は[委那國王]で[委國國王][倭國國王]と等価

521 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:39:44.93
倭の中には邪馬壹國以外にも投馬國などの国が在り
邪馬壹國、投馬國などの国の中に伊都国や奴国のような国邑が在るんだ。

522 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:43:29.34
>>519
倭奴国=伊都国の方がメジャーだろ

523 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:43:53.84
>>521
むちゃくちゃやねw

524 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:46:03.48
韓の中に馬韓、辰韓、弁韓が在り
馬韓、辰韓、弁韓などの国の中に国邑が在ったのと同じ構造が
倭にも在ったんだよ。

525 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:49:43.57
[委奴]は古のキャラクターセットで記すと[委㚢]
女酋長のおる[邦,那]が[㚢國]

奴國 [な]
㚢國 (㚢 古文奴字)
那國 (那と邦は通用 「名國爲邦」 那には[くに]の訓がある)
女國 [な]
野國

526 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:50:18.97
倭も韓も似たような国家形態だったんだよ
隣りの国で違うと考える理由がない。

527 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:50:24.04
>>524

倭国は連合国だから、その中に邪馬台国、伊都国、奴国・・・とあるのは当然

>>521は 倭国>邪馬台国>伊都国の三重構造だと言ってる、これは何も根拠ない
邪馬台国も連合国だったという根拠を出す必要があるだろ

528 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:54:34.31
>>527
倭国が連合国とか全くの根拠なき妄想
連合国は邪馬壹國であり
その構成国が伊都国、奴国
自らの根拠は出さずまるで当然のこととしているな。

529 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:55:02.06
>>524
韓の構造と同じだというなら倭人伝にそう記載されるだろ
そうじゃない以上、妄想だ

530 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:57:14.20
>>529
逆じゃないかな
倭人伝に韓とは違うと書いてないから
同じだと考えるべきだろう。

531 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 21:59:46.99
>>528
倭人伝に卑弥呼の治める「倭国」の中に、伊都国、奴国・・・等各国が列挙されてるだろ、これが倭国連合で当然

>>530
違うと書いてないから勝手解釈できるならなんでもOKだわw
まあこのスレはもともとそうだったと思い出したけどw

532 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 22:06:21.57
>>531
>「倭国」の中に、伊都国、奴国・・・等各国が列挙されてるだろ

君の勝手な解釈だな
伊都国、奴国・・・等各国が列挙されてるが「倭国」の中にではなく女王国(邪馬壹國)の構成国としてだな

君も自分の思い込みで勝手に解釈してるなw

533 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 22:51:56.35
>>528
>連合国は邪馬壹國であり

根拠なし。
卑弥呼は倭国全体の女王。
邪馬台国は卑弥呼の居た国邑。
伊都は倭国の都。
邪馬台国は伊都の奥座敷、おそらく筑後山門。

534 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 22:53:56.60
>>532
そりゃまたご勝手解釈どころか、節穴解釈かなw
倭国女王なんだから倭国=女王国
邪馬台国はその構成国の1つと書いてある
思いこみと言うよりねじ曲げてるよね

535 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 23:17:14.14
>>533
残念、邪馬壹國は国邑ではない
七萬戸の国邑など物理的に存在しない。
>>534
邪馬壹國の女王が倭王に就任したので
倭国が女王国だが
倭には女王に従わない狗奴国も在り
現実には倭国=女王国ではないだよ
倭国の中には女王国以外の国もあるんだよ。

536 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 23:32:44.40
>>535
言っていることが矛盾してないか?

537 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 23:38:45.30
魏が卑弥呼を倭王としたから倭国が女王国なだけで形式的な話
実際は倭の中には女王国以外の国も在るの
建て前も現実は違う。

538 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 23:44:02.80
女王国が全体の意味なんだけどな

539 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 00:55:46.48
>>535
分かってないよね

>邪馬壹國の女王が倭王に就任したので
→根拠はどこにある

>倭には女王に従わない狗奴国も在り
→倭の地には狗邪国もあるが、狗邪国は倭国(女王国)外にあると倭人伝に書いてあるだろ

いいか「女王国」という名称の国家はないの
あったのは「倭国(連合)」、卑弥呼が女だったから倭国を女王国と陳寿が呼んだだけ

540 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 01:04:33.80
邪馬壹國の女王が倭王
倭国に狗奴国は含まれない
邪馬壹國はあくまで女王国の一部に過ぎず女王国の都であり出身の国邑

541 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 01:06:41.38
>>540
>邪馬壹國の女王が倭王
根拠は?

542 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 01:13:24.48
>>541
倭人伝に普通に書かれてることだと思うんだけど

543 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 03:55:27.08
>>542
倭人伝で邪馬台国は1か所しか出てこないけど、どこに倭王って書いてある?
この女王が卑弥呼(倭王)だという根拠は何かあるの?

「南至邪馬壹國,女王之所都」

544 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 08:08:00.88
転載御免

仲哀天皇とその二人の王子は、神功皇后と武内宿禰により抹殺される。次に二人は筑後の女王である田油津姫を抹殺する。
最終決戦地が筑後山門郡であったため、この戦いは山門征伐とも呼ばれるが、実質的には倭国の内乱であり邪馬壹国の征服である。
田油津姫は、八咫の鏡を保有していた筑紫の魁帥(たける)である神夏磯媛(神橿日媛、かんかしひめ)の末裔であるという。
魁帥は伊都の卒や太宰の帥(卒と帥は意味も発音も同じ)に通じるし、橿日は福岡市にある香椎の宮のことであり、卑弥呼につながる筑紫の女王の系譜がここに見え隠れする。

筑前国一宮住吉神社、豊前国一宮宇佐神宮、肥前国一宮千栗八幡宮はいずれも神功皇后と仲哀の死後に生まれた武内宿禰との子である応神天皇を祭っている。
応神天皇は現在の天皇家の皇祖であり、宇佐神宮すなわち八幡神社は古来から伊勢以上に皇室の崇敬を集めていた。
筑後一宮高良大社の末社の祭神がほとんど武内宿禰であることから、高良大社の祭神である高良玉垂命も武内宿禰のことであり、九州北部は武内宿禰と応神天皇の親子により征服されてしまったことがわかる。
玉垂とは、武内宿禰が神功皇后に与えた干珠・満珠のことである。高良大社はかつて神宝として三種の神器、干珠・満珠、七支刀を保有していたと伝えられる。
玉垂命は現地の伝承では筑後の物部氏の祖として高良大社の神職大祝を務める一方で、記紀において武内宿禰は蘇我氏の祖ともされている(蘇我蝦夷が6世孫)。
彼らはみな武内宿禰を共通の祖先としているのである。

武内宿禰は東国や朝鮮半島にも遠征しており、その身の丈は10尺あり、ヤマトタケルのモデルであるともされている。
タケルが筑紫のタケルや出雲のタケルのように王を意味するのであれば、武内宿禰こそ九州倭国の王である倭武尊の名にふさわしい。

545 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 08:31:06.60
>>543
そっちか
倭女王≠女王説はあるにはあるよね

重要なのは邪馬壹國が1か所しかないことではないよ
前半と後半が同じことを指している元文献なのかどうかってとこだな

一緒である根拠より、別である根拠のほうが必要な事案だけど

546 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 08:48:26.97
女王とは、
卑弥呼が邪馬台国の王(女王)になった時から、共立され、魏に朝貢するまでの称号てある。
(女王になる前は、王女と呼ばれていたようである。つまり卑弥呼は、邪馬台国の男王「大倭王」の娘であったのであろう)

倭女王(あるいは倭王)とは、
朝貢の忠孝により、卑弥呼が魏王朝より金印紫綬を拝したときから死ぬまでの、中国側からする称号である。

547 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 09:10:56.55
>>539
元々の女王国(邪馬壹國)は九州の北半分で南に狗奴国が在ったんだが
卑弥呼は倭王に就任したので形式的には倭全体の統治者となった。

548 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 11:18:17.49
丗有王 皆統屬女王國
南至邪馬壹國 女王之所都
自女王國以北 其戸數道里可得略載
此女王境界所盡
其南有狗奴國 男子爲王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國 萬二千餘里
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國
皆臨津捜露 傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯 
女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
去女王四千餘里 又有裸國 黒齒國

景初二年六月から倭女王
景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡
其年十二月 詔書報倭女王 曰 制詔親魏倭王卑彌呼
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和

549 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 13:22:54.58
魏の治世には伊都国に王が居た。全ての倭の国は女王国に統属していた。・・・伊都国が倭の都である。
邪馬壹国は女王の都の在るところである。・・・女王国の名前は邪馬壹国である。
女王国より以北の戸数、里数は記載ができた。・・・女王国の中心地までの戸数、里数は書きました。
これが女王の勢力範囲です。
南に狗奴国があり、男の王がいます。その官は狗古智卑狗です。女王に属してません。
郡の中心地から女王国の中心地までは12000里です。
女王国より以北には特別に一大率を置いて諸国を検察させてます。
全員で港に臨んで点検照合し、文書、賜物を女王に伝送するので間違いはあり得ない。
女王国の東、海を千餘里渡ると復た国がある。全て倭種である。
女王を去る四千餘里、又た裸國 黒齒國がる。

景初二年六月から倭女王
景初二年六月、倭女王が大夫の難升米らを派遣して帯方郡に詣でた。
其年十二月 詔書を以て倭の女王に報いて曰く「親魏倭王卑彌呼に制詔す」
倭女王の卑彌呼と狗奴国の男王の卑彌弓呼は元より不和。

550 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 14:04:34.50
>>544
神武東征と応神東征の理屈が通ってない
卑弥呼の時代はどちらの時代に比定するつもり?

551 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 18:34:05.24
ざっくりと九州征伐九州征伐と言われているが
記紀に記載されている記録では
景行天皇にせよ日本武尊にせよ、征伐してるのは福岡県の外ばかりなんだよね

日本書紀だと景行天皇自らが大分→宮崎→熊本と征伐しているが
そこから北上して福岡県に入ってからは、むしろ征伐を終えて和やかな行幸
(ヤマトタケルは鹿児島のみへ遠征派遣)
筑紫平野には入っていない

古事記でもヤマトタケルはクマソタケルを滅ぼしただけで
筑紫には入っていない

つまり景行天皇の時代まで筑紫を討伐した話は無い

倭国大乱とは倭国内での内乱で
北部九州邪馬台国と、筑後平野あるいは熊本平野の狗奴国が争ったという北部九州説の立場からは
勝利した邪馬台国が
狗奴国の残党を征伐したように見える

552 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 18:43:58.48
神功皇后もそうで、筑紫はむしろ彼女達の本拠地で
我が家のように入り、
田油津姫など筑後より南の勢力を征伐している

これも、倭国大乱とは倭国内での内乱で
北部九州邪馬台国と、筑後平野あるいは熊本平野の狗奴国が争ったという北部九州説の立場からは
狗奴国の残党を征伐したように見える

553 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 18:59:37.23
これらの九州の話からは、東征の時期ははっきりしない。
個人的には卑弥呼の時代に神武が飛び出したと思うけど。
応神は4世紀。神功皇后は120年繰り上げられている。

景行は福岡にも攻めこもうとしたが、神夏磯姫との共闘することになった。名前からすると香椎の女王だったのかと。二人が戦った相手は宇佐、三毛、田川、緑野など福岡県から大分県にかけての豪族。
景行の息子とされるヤマトタケルが肥国の王クマソタケルを襲ったのは福岡県の筑紫野で、そこでは逃げられて、酒宴に紛れてとどめを刺したのは佐賀県の肥前河上との伝承がある。
景行の孫の仲哀の妃だった息長帯比売命が田油津姫と戦ったのは筑豊香春、筑後山門。
息長帯比売命を愛人とした武内宿禰もヤマトタケルのモデルの一人で、筑後高良に都を置いた大王であり、応神の実父、天皇家と蘇我氏と物部氏の祖。

554 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:04:01.46
記紀の最初から神功皇后まで
伊都や奴国という筑紫平野の中枢は一切西征されていない

いつの間にか神功皇后は筑紫を本拠地として使っている

博多湾〜壱岐対馬を押さえなければ朝貢できないのだが

555 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:07:20.52
筑後に伝わる伝承では、田油津姫は香椎から小倉に出てきた神夏磯姫の末裔とのこと。
また、肥前に伝わる伝承では、クマソタケルは筑紫の王でもあったとのこと。
仲哀は景行の孫なので、おそらく神夏磯姫の係累でもあり、それならば香椎の宮に入るのも自然だと思う。

印象としては、彼らはみな、かなりの近親者であったようだ。
神夏磯姫が倒した相手も、魏志にある耳垂などの名前が含まれていて、すべて倭国内の内乱に見える。

556 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:11:45.85
景行から神功までは福岡の豪族でしょう。
ただし微妙な違いはあって、
景行天皇が筑後
仲哀天皇が北九州
神功皇后が福岡市周辺

成務は知らん。

これらの豪族の伝承が
記紀編纂の時に天皇の事績に
組み込まれたんだろうねえ

557 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:13:06.06
熊襲と言えばせいぜい熊本より南の存在であることが一般的だと思うが

558 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:14:22.58
でも、古墳時代以前に九州に広域国家の形跡ないじゃん

559 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:14:53.35
>>556
その頃の畿内は誰が?

560 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:15:35.37
>>558
土器の流入
特に畿内からぶっとい矢印が

561 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:17:38.47
仲哀の本拠地は門司、穴門豊浦宮だが、難なく香椎に入り、伊都の高千穂宮や小倉の岡田宮の勢力から歓待されている。
仲哀の祖父が香椎の神夏磯姫=神橿日姫の協力者だったため。
仲哀が神夏磯姫の孫でもあったなら、田油津姫は仲哀の従兄弟だった可能性がある。
息長帯比売命は仲哀の王子二人も殺し、景行と神夏磯姫の王統を根絶やしにしようとしたようだ。

562 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:18:40.97
>>559

景行天皇や仲哀天皇は畿内にいて、
福岡の豪族の伝承を貼り付けたんじゃないかね?

飛鳥の厩戸皇子と福岡のアメタリシヒコ
もそういう手法じゃないかなあ?

563 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:22:20.46
少なくとも神夏磯姫は八咫の鏡を持っていた。
2〜3代ほど後の武内宿禰も高良大社に三種の神器を置いていた。
もともとこれが天皇家の系譜の一部のはず。
応神もここから出てきて、現在につながる。

564 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:25:02.58
>>562
景行はともかく、仲哀は畿内にいた形跡がない。
宮が穴門と筑紫だからね。

565 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:31:09.35
>>557
熊本より南というより、熊本までの肥国がほぼ熊襲の領域と一致する。
クマソタケルが宮を構えたのが肥前だしね。
つまり、熊襲は有明海沿岸勢力とまとめることができる。
しかも、筑紫も支配していたという。
つまり、卑弥呼の亡き後、少なくとも壹與の時までには筑紫と肥国は倭国としては一つにまとまり、その中で王位をめぐる争いを繰り広げていたようだ。

壹與は肥前の淀姫だと思っているが、筑紫と肥国の和解のために共立されたと考えるとつじつまが合う。

566 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:32:42.62
>>558
広域国家である必要はない。
筑紫の支配者として三種の神器を手にした者が倭国王だから。

567 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 20:28:54.66
古事記、風土記では熊襲国は宮崎、鹿児島。
熊本は肥国となっている。

568 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 20:38:39.50
穴門の仲哀が筑紫に招婿婚やらかしてしでかしていた息子の名前には熊の字とかあったろ

569 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 20:40:03.09
>>567
となると
古事記でも日本書紀でも日本武尊は主に鹿児島を遠征しただけ

景行は古事記では動いておらず
日本書紀では肥国領域(=おそらく狗奴国領域)を征伐して
福岡県南部に帰省しているわけね

570 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 20:55:36.18
>>569
いやいや、ヤマトタケルの遠征先は肥前だったんだよ。
熊襲が南九州というのは誤解。
確かに筑紫よりは南だが、佐賀、熊本。
あとは阿蘇を挟んで大分、宮崎。
ただ、これは景行の遠征先でもあるから、筑紫から見たら敵という感じはあったのだろう。

571 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 20:56:59.96
宣長さんおおあたり

572 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:03:51.46
福岡県の沿岸部、伊都、博多、宗像、小倉、門司あたりと、内陸の筑後、筑豊、豊前が歴史的に別の文化圏だったのではないか。
では、卑弥呼はどちらだったのか。
実は筑後山門の出身で、伊都を含む筑紫つまり倭国を支配していたのだろう。

573 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:03:53.04
草香江は福岡市中央区にあるな
難波の堀江や茨田堤も福岡市内だろうな
難波高津宮も高宮かな
墨江津は当然博多湾だな。

574 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:15:34.88
>>572
たしかにそれだと山幸海幸が説明できるけど

その場合、狗奴国は?

575 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:32:13.62
天津神と国津神、天神地祇、大山祇と綿津見、天照と大国。
海と陸の対立は倭国の基本構造みたいだね。
息長帯比売命と田油津姫、ヤマトタケルとクマソタケル、伊都国王家と卑弥呼も同じような関係なのかもしれない。

576 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:33:53.92
海幸山幸に豊玉姫の伝承は
高良大社の古文書にあるとか
どっかで読んだな。

577 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:39:45.70
海から見た文化圏としては
玄界灘文化圏
有明海文化圏。
北九州、周防灘文化圏
豊後、日向文化圏
鹿児島湾文化圏

といったところかな。

578 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:42:11.67
筑紫沿岸部西部つまり玄界灘沿岸部【筑紫】、遠賀川流域【豊国】、筑後【山門】、有明海沿岸部から阿蘇宮崎【肥国】がそれぞれ別勢力。
熊襲は肥国の王の名。厳密には国ではない。
ただ、記紀を書いた畿内政権は筑紫の末裔なので、熊襲を王と認めたくなかったのだろう。
山門の独立性も、認めたくはなかったと。

579 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:46:08.47
鹿児島は倭国の王にはなれなかったみたいで、国としての立場が確立されてなかった。
筑紫の日向伝承の移植先、踏み台にされている。

580 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 21:59:01.17
>>577
かぶってすまんね。

581 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:03:37.96
筑後を邪馬台国に入れるのはいいけど
それだと南の狗奴国が熊本以南になって
当時の筑紫筑後と100年近く戦い続けるのは無理だろう

582 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:16:45.10
で、卑弥呼をどこに当てはめるかだよな。

583 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:19:33.48
えっと・・・
このスレは卑弥呼が伊都にいたということが前提のスレだから

畿内と思うなら畿内スレへ
九州の他地域と思うなら九州スレへ

584 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:22:14.80
>>583

そうなの?
熊本から北は全部北部九州だと思ってた。

585 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:23:41.78
伊都国説スレにした方がいいかもね。

586 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:25:11.04
邪馬台国だって、田油津姫が滅ぼされるまで、筑紫と100年以上対立していたことになる。
その間に順番に政権の座を取っていた。

え?
ちょっと!
筑後もスレ違いかよ!

587 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:34:24.94
>>584
邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國に都して邪馬壹國を統治していた。

588 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:45:24.91
>>586
ほんとすみませんねー

589 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:51:45.96
筑後も熊本も邪馬壹國の一部だが
卑弥呼は伊都國に居たw

590 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:53:55.55
最初は邪馬壹國と狗奴国に分かれて戦ってたけど
邪馬壹國が次第に制圧していって
終盤には伊都卑弥呼率いる邪馬壹國が統治したということでしょ

591 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 23:05:47.99
魏の郡使と会談したのは伊都で倭国の都も伊都だが、卑弥呼は筑後山門の出身で伊都を支配していたのでは?
平原遺跡は卑弥呼の墓。
でも邪馬台国は筑後山門。

ていうか、佐賀県、大分県は入れてもいいんじゃないか?
これが多分倭国の中心領域だから。

592 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 23:18:22.66
>>591
筑後には祇園山古墳があるものの
筑紫に比べると3世紀4世紀の遺物があまりに乏しすぎます

卑弥呼の本拠地であって
しかも邪馬台国であるなら南の狗奴国と対する主要都市であるなら
もっと大量の出土物があるはず

593 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 23:21:03.61
副葬品から考えると592の通りなのですが

>彌馬升 彌馬獲支
この2つは内陸の可能性が高く
邪馬台の本来の倭人表記は彌馬台である可能性も高いと思うので
>>591さんの説は否定もできません

594 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 23:23:33.98
うんうん、筑後山門を外すのはやりすぎな気がする。

595 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 23:29:44.97
いや、副葬品からすると外すべきなのですが
完全に否定もできないというだけで

596 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 02:16:41.77
本拠地と埋葬された地が別でも良い。
平原については、あの時代に卑弥呼以外にあれだけの副葬品とともに葬られるべき人物もいない。
しかし、卑弥呼が伊都に常駐する必要もない。

597 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 08:41:45.79
>>590
文書に記録として無いものは分からない
分かっているのは魏の使者が伊都国で卑弥呼と会い
卑弥呼や壹與が伊都国で暮らしていたこと
卑弥呼の墓が何処に造られたかや邪馬壹国の範囲に付いては謎だが
可七萬餘戸なら北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)くらいの広さが必要だ。

598 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 09:16:38.22
>>596
「世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
「魏の治世には伊都国に王がいた、倭の国々は全て伊都国を都とする女王国に統属しており、郡の使者が往来するときは常に伊都国に泊まっていた。」

「邪馬壹國 女王之所都」
「邪馬壹国は女王の国邑がある国の名前である。」 

自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史

599 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 09:16:38.39
弥生末期だと九州全体で10万戸〜20万戸だな

600 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 09:19:09.20
>>596
「世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
「魏の治世には伊都国に王がいた、倭の国々は全て伊都国を都とする女王国に統属しており、郡の使者が往来するときは常に伊都国に泊まっていた。」

「邪馬壹國 女王之所都」
「邪馬壹国は女王の国邑がある国の名前である。」 

「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」

601 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 09:24:19.26
>>599
馬韓10万戸、辰韓、弁韓4〜5万戸ですから
九州全体で10万戸を少し超えるくらいでしょうね
邪馬壹国が7万戸で狗奴国が残り3万戸〜

602 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 12:32:51.46
>>597
魏の使いと会談したのは伊都でも、宮城は伊都とは限らない。
伊都まで容易に往復できる範囲なら良いようにも読める。
伊都まででは里程も使い残している。
福岡県内だとは思うけど。

603 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 13:45:00.43
>>602
伊都国までで11900里、100里残りがあり12000里の所には奴国がある
奴国が女王国の中心地だな、「自女王国以北」とは奴国以北って云う意味だ
女王国の都は伊都国、女王国の中心地は奴国なんだ
福岡市近郊に邪馬壹國の主要部はあったんだ。

604 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 18:06:53.13
>>603
九州には辰砂を採った痕跡無いだろ? だから邪馬壹國論争の資格、無いのよ。残念

605 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 18:27:07.13
>>604
邪馬壹國論争に辰砂は関係ないよw残念
大分とかには辰砂を採った痕跡があるようだがwww
長崎、熊本、大分では辰砂が採れるようなので
今後更に辰砂を採掘の痕跡とか見つかる可能性もたかいな。

606 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 18:35:55.45
>>605
>邪馬壹國論争に辰砂は関係ないよw残念

といいながら( ^ω^)・・・

607 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:15:15.29
九州では丹は絶体禁句!!

608 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:18:29.04
爺たんに用はありませんので
巣にお戻りくださいwww

609 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:20:05.66
丹って丹土のことだろ

610 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:22:15.08
仁丹だよ

611 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:25:55.06
>>609
九州では、そうらしい。

612 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:39:18.16
>>611
丹土って鉄丹のことだもんな

613 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:48:57.48
出白珠、青玉。其山有丹土
出真珠、青玉。其山有丹

614 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:56:52.58
>出真珠青玉其山有丹

真珠と翡翠は出るが 、丹は山に有るだけ。

邪馬台国である条件に丹が採れる必要性は全くありません。
山にあればいいので中央構造線沿いのほとんどの地域は「其山有丹」に該当します。


同じ魏志倭人伝に
>有薑橘椒蘘荷 不知以爲滋味
しょうがや山椒や胡椒は「有る」だけで、食べられることを知らない。

とありますので
「有」という表現では
有るだけで、使用していない状態が含まれることは確定しています。

615 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:58:05.98
九州の古墳には、丹土使ってるらしい。

616 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 20:01:18.66
>>615
赤土だろ? 九州の古墳

617 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 20:05:18.96
爺たんは同じ事を繰り返すだけでつまらん
新しい話があったら聞いてやるw

618 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 20:06:57.25
赤土=丹土

619 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 20:09:32.60
>>617
九州では丹は絶体禁句だからな!!

620 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 20:14:25.79
魏志倭人伝の真珠と丹は支那の言葉で間違ってたみたいで
それ以後の書は白珠と丹土で統一されてんだな

621 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 20:17:43.73
白珠って真珠じゃないのか?

622 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 21:45:30.99
>>619
丹は禁句じゃないよ

623 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 22:01:14.55
>>622
しっ、九州ではだめなんだってば。

624 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 22:12:09.97
>>621
白珠は真珠じゃないよ白い珠
孔と書かれてるから穴の空いた白い珠
天然真珠は五千も集まらないよw
「真珠 鉛丹各五十斤」の真珠は真朱の誤記だね。

625 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 22:50:17.75
たしかに倭国で真珠が取れるのに
魏から真珠を五十斤贈るってのも変だな

それならば魏から倭国へ真朱が五十斤贈られたことになって
魏から倭国へ真朱が贈られたのなら
やっぱり其山丹有は丹が有るだけで採掘はしていないことになる

中国産の朱を大量に使っていた九州だから
当たり前と言えば当たり前の記載か

626 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 23:02:30.53
宝石としての真珠が斤で測れるほど大量に取れることは
養殖が可能になってからもそう簡単ではない。

自然の真珠は1万個の貝から3個の割合で取れる程度で、
それもいびつなのが殆ど。 大きい真球は国宝級だった。

627 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 23:50:46.43
其山有丹土
なんだな

後漢書とか宋書とか魏書より後で書かれたものの記述だけど

628 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 11:24:40.20
「後漢書」其山有丹土・・・爺たん涙目www

629 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 22:14:03.60
丹土ならどこでもありそう。

630 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 13:38:46.66
  
丹土=リモナイト(阿蘇黄土・土状褐鉄鉱・ベンガラ原料)

赤土ベンガラ・丹土ベンガラ・赤泥ベンガラ・パイプ状ベンガラ
・鉄丹ベンガラ・ローハベンガラがある。
中でも球状微粒子で赤い色相が良好なのはローハベンガラである。
ローハは緑礬(りょくばん)とも呼ばれ、
正徳3年「和漢三才図会」には緑礬を焼き、朱辰砂の代用にする。
これを礬紅という。と記述されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%9F%84

631 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 14:52:19.03
UAP(未確認空中現象)がアメリカで問題に
https://www.youtube.com/watch?v=xFxaq_AScKw

鳩山元首相、UFO研究機関の設置を提案

「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と
 戦争をやめ 宇宙人の存在を公表しなさい。
 ロシアの首相が2回も言ってる」(矢追純一)


【12月】   日本発、世界連鎖暴落!  【14日】


『どアホノミクスへ最後の通告』浜矩子
『アホノミクス完全崩壊に備えよ』
『みんなで行こうアホノミクスの向こう側』
『2016年 日本経済複合危機襲来の年になる!』
●国債危機は日本初の世界恐慌を引起こす
●2016年、米国の利上げが最大の波乱要因

もし政治的判断で、12月14日に利上げをしたら、
間違いなくニューヨーク市場は大暴落。100%。
https://youtu.be/90hYAE_NDNY


日本から始まる世界的株式市場の大暴落

終いには政府にも支えることができなくなり、
どん底に落ちていきます。
日本政府がアメリカ国債の25%を引き出すと
世界経済が破綻しマイト レーヤは出現します。
UFOがとてつもない数で姿を表すでしょう。

632 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 22:20:48.82
伊都 伊岐 伊予 伊勢

633 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 01:17:25.12
伊賀

634 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 01:26:43.61
伊太利亜

635 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 14:36:06.78
邪馬壹國は北部九州に在ったで完璧ですねw
全ての謎は解けたwww

636 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 17:22:02.50
古事記のぱくった夜麻登はもとのが下関の稗田に阿禮

637 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 21:42:06.09
稗田阿礼がもともと地元の伝承として覚えて畿内に来たんじゃないだろうか?

638 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 08:28:09.61
一大卒は一支=壱岐の誤り
壱岐こそ天孫族の聖地

639 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 08:29:35.63
卒は軍事警察長官で、地頭の強力版

640 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 08:48:50.58
熊本説だと、肥前国、肥後国が女王国。
その中の肥後国が邪馬台国本国で
肥前国が統治統合過程にある小国の集まり。

小城の一大卒が肥前国を代理統治中。
小城は北は唐津、南は長崎
西は佐世保、東は佐賀、鳥栖となる
肥前国の要衝である。

奈良時代の肥前国庁の前には、小城国府があったと
肥前国風土記に記録されている。

糸島は博多湾の入り口に位置し
博多湾を見渡すことができる高祖山があり
博多湾勢力にとっての要衝ではあるが
周囲の小国を監視する位置関係ではない。

のちに肥国邪馬台国は福岡九州王朝に
従属することになる。

肥国の南には人吉球磨地方が存在しており
ここから南が熊襲国である。

641 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 15:53:00.32
熊襲を狗奴国に比定してるんだろうけど球磨が熊襲なのはわかる。球磨が狗奴国なのが分からない。

642 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 16:44:43.36
熊襲国をクナ国としてるが、
イコールかどうかはまだ疑問の余地が
あるのは否定しない。

643 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 17:25:02.37
倭人伝の其南有狗奴國を取れば狗奴国は南九州。後漢書の自女王國東度海千餘里至拘奴國を取れば狗奴国は畿内だなー。邪馬台国を追い詰めるほどの勢力を持つのはどっちだろうなー。

644 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 17:35:17.61
東に度海千餘里至るの拘奴(コウナ)國と、其南に有り狗奴(クナ)国はべつもの

645 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 17:52:39.28
そういえば倭人伝は狗邪韓国で後漢書は拘邪韓国だなー。

646 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 18:41:38.11
畿内南部=和歌山

そんな強大な部族がいれば
敗残の神武一行は速攻全滅w

647 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 18:43:08.15
畿内南部=和歌山

そんな強大な部族がいれば
敗残の神武一行は速攻全滅w

648 :sage:2016/12/11(日) 18:44:15.29
https://www.youtube.com/watch?v=xHx5MbIGEoY

https://www.youtube.com/watch?v=8fPmkq1CkCU

https://www.youtube.com/watch?v=PR6r40GbIfk

649 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 22:03:46.15
>>643 >>644 >>645
手偏と獣編の差は写本時のミスとみるのが一般的

650 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 22:28:10.02
聞いたことないな

651 :日本@名無史さん:2016/12/12(月) 03:08:18.64
>>644
東遷したんじゃない?

652 :日本@名無史さん:2016/12/12(月) 12:09:15.88
「狗」や「拘」は、国名の一部とは限らぬ

移民の国とか、難民の国とか、侵略者が建てた国とかのように、その国の出自や素性を著わす枕詞だったのではないか。

653 :日本@名無史さん:2016/12/12(月) 16:56:56.44
他に同じような例はあるの?

654 :日本@名無史さん:2016/12/12(月) 18:08:14.07
翰苑では、
邪馬台国を分割し、
邪(国)と、馬台国のふたつとして使い分けている。

655 :日本@名無史さん:2016/12/12(月) 18:28:10.66
脱字だろ

656 :日本@名無史さん:2016/12/12(月) 21:15:27.66
翰苑は大宰府に伝わる書
その大宰府にお祭りされているのは学問の神様
翰苑を学んだことがないと聞いては、その神様がお嘆きになりますぞえ。。。。。

657 :日本@名無史さん:2016/12/14(水) 06:58:41.01
どうも気になるが、「東遷」という造語は、王が国ごと引き連れて移住するって
事だよな?

神武記にみる一行の勢力は、せいぜいが大隊クラスで、それも各地を流浪の旅w
客分として屯田でもしながら移動した風情でしかない。如何に長髄彦がエリアの
王として強力であっても、九州勢力を挙げての攻撃なら流石にひとたまりもない。
鉄器の優勢だけでも、圧勝するよ。
それが、実際は兄二人を失い遙か僻遠の熊野まで落ち延びたんだよ。

統一国家で例えばレコンキスタの後カルロスが首都を移すってのとは訳が違う、
弥生の王=大稲作地帯をそのまま残して攻め取りで敵地に遷都するなんて、あり得ない。
当然鉄やその他の資産設備や人口も残していくわけだろ?後は誰が支配するんだい?
実際は、王族の一部か、九州で芽が出ない一族が新天地「うまし国」を求めて出ていった
って程度の話だよ。ただニギハヤヒの方がいろいろと格上っぽいけど。神武の父の
名前なんて「鵜草葺不合」=茅葺きさえ出来ない貧乏人だぜw

どうも日本の史学には、こういう観念的な造語に縛られている事例が多いね。
抽象的なんだよ日本の文系は。

658 :日本@名無史さん:2016/12/14(水) 11:06:17.42
記紀にあるのは東征であり、東遷はジョーカーの妄想、仮想敵。

659 :日本@名無史さん:2016/12/14(水) 12:06:08.25
>>657
神武東征とは、阿波国の南部から出陣して、吉野川北部中流域(阿波市や阿讃国境)へ侵攻した物語。
阿波国内にはその名残が数多く残っている。
阿波をもっと研究するべし。

660 :日本@名無史さん:2016/12/14(水) 12:10:40.22
国ごとじゃなくて(庶民は別だな)、首都機能が遷れば(最低限、王のみ)いいんだろ

661 :日本@名無史さん:2016/12/14(水) 13:19:49.74
王は伊都国にいると書いてあるし。

662 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 15:16:08.55
倭王は一人だけで、伊都国にる卑弥呼だけだったんだ。
狗奴国の王は自分で王を称しているだけの者。
伊都国は女王国の支配下にあったから、別に王がいるはずがない。
伊都国の王と女王卑弥呼は同一に決まってる。

663 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 15:42:37.40
「世有王」とは、
卑弥呼が共立される前の時代のことであり、
卑弥呼は、まだ邪馬台国だけの王(女王)であった。
だから、その当時は伊都国にも王(たぶん男王)がいて、併存していたのだ。

664 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 16:39:32.13
>>663
魏書で「世有」とは魏の治世の時代を指しいますから
卑弥呼が共立さた後の時代のことです
従って伊都国の王と卑弥呼は同時代に存在したことになります。

665 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 17:33:31.65
つまり漢の時代には伊都国に王はいなかったということですね

666 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 17:35:14.82
すると、漢末に卑弥呼が共立王になった後、魏の時代になって伊都国に王様が擁立されたということか

667 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 18:49:01.28
王とは代々継承されるものをいう。
卑弥呼と並存が正しいだろう。

668 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 19:11:20.11
>>665,>>666「世有王」とは魏の治世時に於いては伊都国に王が居たとの意味だから
漢代に伊都国に王が居たか居なかったかはこの文だけでは不明だ
>>667
倭女王卑弥呼がいるのに伊都国に別の王が居ることはない
王の家臣の王とかいない
王の家臣となった時点で王ではない。

669 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 19:15:29.85
>>668
厳密な意味では漢の時代については書いてないが、王というものの性格からして、いたはず。
そもそも伊都国には代々の王墓がある。
ただ、卑弥呼がそこに属すかどうかは不明。
伊都国に君臨したことは確かだが、卑弥呼は例外的なプロセスで共立されている。

670 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 19:29:20.17
>>668
連合国なら各国に王がいて、それらを束ねる別の存在(連合王)がいてもいいでしょ
世界的にみてもあちこちに存在するし

671 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 19:36:00.61
秦も漢も初めは小さな国で、そのうち中国全土を支配したんだよな。
筑後山門から出てきて共立されて、伊都国王家を凌ぐ権限を掌握したのかもね。

672 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 22:28:32.42
>>665-666
漢の時代には伊都国に王はいなかったとは書いていない。
魏の時代になって伊都国に王様が擁立されたとも書いていない。

女王の時代伊都国に王がいたと書いてあるだけ。

673 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 22:32:21.30
魏の時代に王がいたのなら、漢の時代にもいたんだろうと(少なくとも漢末には)推測は出来るよね

674 :日本@名無史さん:2016/12/19(月) 18:46:48.27
「周髀算經」の記事内容が記録された年代の根拠解説。

>>http://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&id=59462

@「冬至日加酉之時西游所極,日加卯之時東游所極」

黄道の北極点(天の北極点)と北極中大星(北極星)と
赤道の北極点(地球歳差運動の北極点)が一直線に並んでいる。

A「正極之所游,冬至日加酉之時,立八尺表,以繩繫表顛,
希望北極中大星,引繩致地而識之。又到旦,明日加卯之時,
復引繩希望之,首及繩致地而識其端,合去二尺三寸」
「其兩端相去正東西。中折之以指表,正南北。加此時者,皆以漏揆度之。
此東西南北之時。其繩致地所識,去表丈三寸」

北極中大星(北極星・こぐま座β星)と黄道の北極点(天の北極点)の成す角度は、6.41°である。
観測地点は、北緯37.836°である。

@Aに近似する時代は、地球の歳差運動から、BC1120年頃である。

BC1120年頃の赤道傾斜角は、23.8927°である。
一方AD2000の赤道傾斜角は、23.4393°であるから、
BC1120年頃の北緯37.836°は、現在の北緯38.289°で、石家庄付近での北極星観測となる。

675 :日本@名無史さん:2016/12/19(月) 18:51:15.79
>>http://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&id=59462

676 :日本@名無史さん:2016/12/19(月) 18:58:04.90
周髀算經 3 卷下

「欲知北極樞,璿周四極。常以夏至夜半時北極南游所極,
冬至夜半時北游所極,冬至日加酉之時西游所極,日加卯之時東游所極。
此北極璿璣四游。正北極璿璣之中,正北天之中。
正極之所游,冬至日加酉之時,立八尺表,以繩繫表顛,希望北極中大星,引繩致地而識之。
又到旦,明日加卯之時,復引繩希望之,首及繩致地而識其端,相去二尺三寸。
故東西極二萬三千里,其兩端相去正東西。中折之以指表,正南北。
加此時者,皆以漏揆度之。此東、西、南、北之時。
其繩致地所識,去表丈三寸,故天之中去周十萬三千里。
何以知其南北極之時?以冬至夜半北游所極也北過天中萬一千五百里,
以夏至南游所極不及天中萬一千五百里。
此皆以繩繫表顛而希望之,北極至地所識丈一尺四寸半,
故去周十二萬四千五百里,過天中萬一千五百里;
其南極至地所識九尺一寸半,故去周九萬一千五百里,其南不及天中萬一千五百里。
此璿璣四極南北過不及之法,東、西、南、北之正勾。」

677 :日本@名無史さん:2016/12/19(月) 19:00:16.50
  
>>http://ctext.org/zhou-bi-suan-jing/juan-xia/zh#n59462
  

678 :日本@名無史さん:2016/12/24(土) 09:14:11.11
ブラタモリで福岡市周辺散策で古事記特集をして欲しいなw

679 :日本@名無史さん:2016/12/25(日) 16:33:59.39
糞ジャップ共は全員津波に飲み込まれて死ね!!!!!!!!!!!!!!
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwww

劣等人種ジャップについて語りたい場合は

http://hanabi.2ch.net/ogame/

680 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 12:48:12.06
>>672
卑弥呼が擁立されたのは漢末だから漢の時代には伊都国に王がいたことになる
漢委奴國王の印を卑弥呼が引き継ぎ倭奴王となったんだ
しかし王朝が魏に交代したので新たに親魏倭王の印が必要になり使者を遣わした
そして邪馬壹國は北部九州に在った
卑弥呼は伊都国で邪馬壹國全体を治めていた。

681 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 13:16:51.12
>>680
伊都国が邪馬台国ならわざわざ別々の国名を書かんだろう
伊都国から邪馬台国まで結構な数の国名を挙げてるじゃないか

682 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 13:20:08.76
邪馬台と書いてヤマトと読む。
倭と書いてヤマトと読む。
つまり邪馬台国とは倭国と同義で、訓読みにさらに漢字を当てただけ。
倭国は玄界灘沿岸に成立し、対馬海峡こ交易により発展した海洋国家であり、海人の国と呼ばれた。
生活の基盤が次第に漁撈から稲作と交易にシフトした。
都は紀元前から一貫して筑紫にあった。
漢の時代に金印を授かり冊封され、女王卑弥呼の時に魏から冊封された。
筑紫、豊国、肥国を中心として、出雲や丹波、近江、越など日本海沿岸が勢力範囲であった。

683 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 13:31:25.40
>>682
倭=邪馬台国であれば、最初の對馬國についた時点で
邪馬台国に到着したと書くわな
わざわざ国名列挙する意味がない 

684 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 13:36:54.63
たしかに。

685 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 16:49:40.73
[邪馬壹國女王]といふは[壹與]ちゃんのニックネームなだけだし

686 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 17:48:14.32
>>681
私も邪馬台国と伊都国は別とは思っているが、卑弥呼は伊都国にいたと考えている。
倭国の中心は伊都国と奴国。

邪馬台国?
あれだけの記述じゃどこかわからん。

日程の記述の起点は帯方郡。
伊都国から奴国と不弥国は放射読み。
そして、「行」の字で行程の説明が終了。
それからは帯方郡から放射読みだね。

687 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 18:06:28.35
魏の関係者は、邪馬台が倭の訓読みに相当することを理解せずに曖昧に書いたから、混乱を生じたのではないか?

688 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 18:54:08.62
>>681
「南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
この部分は張政の倭への出張日報によるもで日数のみの報告と考えてよいだろう
他の行程記事は公孫氏の帯方郡が倭を調査し魏が押収した資料を参考に書かれたもので
距離、戸数が詳細に書かれてたんだろう
二つの資料を参考にして書いたとすれば投馬國と邪馬壹國だけは国邑ではなく国邑の連合体であると考えられる
投馬國内の国邑が狗邪韓國
邪馬壹國内の国邑が對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴國、不彌國、斯馬國・・・烏奴國。

689 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 19:24:28.30
倭人伝の少し前に書かれた魏略には投馬國や邪馬壹國お記載は無い
張政の報告分が間に合わず入っていないんだろう。

690 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 08:16:03.10
どうだろう
三国志のコンセプトは統一王朝じゃないから三国併記、でも魏の後継だから
実質は魏中心。魏を称揚するほど司馬氏の簒奪色も薄まるw
だから、魏志の末尾で版図の拡大とエキゾチックな女王の大国が呉と同盟した
公孫を滅ぼした途端自ら朝貢してきた慶事というのはいいとして、張政が何を
どこまでやったのか、その報告は軍事機密か陳寿は直接見たのかなど、そこん
所がわからない。

691 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 08:21:46.66
魏が滅んだ時点でそこまでの資料は役所的には確定しているから、間に合わなかったとは考えにくいな。
ただ、取捨選択の中で要らない情報だったんだろう。
朝貢した国だけ書けば用は足りるから。

692 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 08:38:14.49
魏の時代と晋の時代で文書の機密範囲は違うだろうからな
呉が存在する限りはね

693 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 08:40:24.29
伊都国を邪馬台国に入れると一大率あたりの女王国の説明とは矛盾するのが問題や

694 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 08:43:10.14
別に矛盾はしないと思うよ。
北部は特別な軍事担当がいただけ。
卑弥呼が筑後あたりの出身なら背景も充分。

695 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 08:46:29.46
>>694
女王国の範囲を明確にしてみて

696 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 09:17:56.21
女王国は女王卑弥呼の治める国だ
卑弥呼は倭王なので広義では倭全体でもあるが
倭の中でも直接治めているのは邪馬壹國なので邪馬壹國とした方が意味が通じる
卑弥呼は「世有王」と記された伊都国に居た
また奴国までが12000里であり、戸数も20000戸と飛びぬけて多いことから
奴国が女王国の基準点となる中心的な国邑であったことが分かる
女王国の範囲としては對馬國から不彌國、傍国の国々が入るのは間違いない
現在の北部九州の範囲(福岡、佐賀、長崎、大分、熊本)くらいだろう。

697 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 09:24:47.43
>>696
矛盾するね

698 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 09:43:39.90
矛盾だらけで話に全く整合性がないんだよな、北部九州説なんて。

699 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 09:53:09.45
>>696
まったく矛盾だ
初歩的なところで、読み違えてる。
女王とは、まだ卑弥呼が邪馬台国だけの女王であった時代の敬称だ。

共立されて、倭の女王になると、それは「倭女王」にかわった。

魏王朝へ貢物をして親魏倭王の称号をもらってからは、「(親魏)倭王」と称されるようになった。

倭人伝における卑弥呼の敬称は、時代とともに変化している。
そこをゴタマゼ・チャンポン・どんぶり勘定にしては、読めるものも読めなくなる。

700 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 10:39:44.08
世有王 皆統屬女王國・・・伊都国に王がいて倭の国々を全て女王国に統属している
邪馬壹國 女王之所都・・・邪馬壹國には女王の都がある
自女王國以北 其戸數道里可得略載・・・奴国以北はその戸数や道里を略載できた
此女王境界所盡・・・これ女王の境界のつきる所
自郡至女王國 萬二千餘里・・・帯方郡の郡治から女王国の奴国までが12000里
自女王國以北 特置一大率・・・奴国以北には特別に一大率を置く
女王國東渡海千餘里 復有國・・・九州の東の海を渡る千里 また国がある
去女王四千餘里 又有裸國・・・九州を去る四千里 また裸國がある
 

701 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 12:59:18.94
倭王も親魏倭王も、支配域としては変わらない。
あと、共立前に邪馬壹国だけの女王という時代があったかも不明。
支配権を持たない一介の姫または巫女が、高齢独身だったからいきなり指名されて女王に共立されたのかもしれない。

702 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 13:12:44.68
「年已長大」は高齢じゃなくて成人ということな

703 :日本@名無史さん:2016/12/29(木) 13:51:52.95
成人したのに未婚だったから、女王を押し付けられた。

704 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 08:52:12.81
倭人伝に登場する邪馬壹国は張政が現地を訪れ見聞きした情報を報告した中に含まれていたんだろうな
倭では卑弥呼が女王として共立された連合体のことを邪馬壹国と呼んでいたんだろう。

705 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 10:52:46.57
つまり倭と邪馬台はほぼ同じ意味なんだよ。
どちらもヤマトと訓むんだよ。

706 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 12:18:05.98
>>704,705
倭人伝の記述と整合性がないのでバツ

707 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 13:47:45.90
いや、実は矛盾はしていない。、魏志の記事は意外と曖昧だから。

708 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 14:28:34.43
きちんと書かれてる部分を曲解するのはいかんだろ

709 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 14:34:53.12
>>705
何がつまりなんだ?
理由を説明しないて結論だけ、アホwww

710 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 14:36:34.61
いずれにせよ、卑弥呼が伊都国にいたこたあ間違いないよな。

711 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 14:41:29.44
そういうことだ。

712 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 16:58:57.18
卑彌呼は怡土におっても当然だけど
卑彌呼は伊都なんかにはおらなんだ
伊都は海賊の巣の鬼ヶ嶋とか
難升米の根城のの魏ヶ嶋とか
卑彌呼のおった怡土は委那國王の里の三雲

713 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 18:43:11.65
1)伊邪那美・岐は、魏志倭人伝に登場するクニから、1文字づつ取った文字<br>
2)伊邪那美岐に順は、該当するクニの格順<br>
3)別天つ神五柱の古事記記載順は、このクニの格順に対応<br>
4)別天つ神五柱は、倭国乱を収束するための会合を開いた。<br>
5)伊邪那岐は伊都国の王子、伊邪那美は奴(那)国の王女<br>
6)二人の間の子、天照大神共立は、会合の中ですでに決まっていた<br>

伊 伊都国     天之御中主神
邪 邪馬台国    高御産巣日神
那 奴(那)国   神産巣日神
美 不彌(宇美)国 宇摩志阿斯訶備比古遅神
岐 壱岐国     天之常立神

714 :九州王:2017/01/01(日) 10:37:07.91
明けましておめでとうございます。

715 :日本@名無史さん:2017/01/04(水) 17:54:46.33
>>714
今年こそ電波説の誤りに気づきますように

716 :日本@名無史さん:2017/01/07(土) 12:24:08.62
>>715
誤りがあると思うなら指摘してください。

717 :日本@名無史さん:2017/01/11(水) 19:30:09.52
明けましておめでとう

718 :日本@名無史さん:2017/01/28(土) 16:10:04.10
魏略は梯儁や張政が倭を訪れる前
公孫氏の帯方郡に有った資料を基に書かれたんだろうな。

719 :日本@名無史さん:2017/01/28(土) 19:03:51.11
「魏に利用された卑弥呼、誇大創造された幻の邪馬台国は九州南方海上に有った(ことにされた)」
俺はこの説にしよう

720 :日本@名無史さん:2017/01/29(日) 08:31:24.04
「謎は すべて解けた」

721 :九州王:2017/02/17(金) 10:08:02.98
水行十日陸行一月が水行十日陸行一日の誤りとするだけで、魏志倭人伝を全て矛盾なく解読することができる。

邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國に都して邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)

722 :日本@名無史さん:2017/02/17(金) 13:12:44.99
【邪馬台国の周辺の国】

1番目の斯馬国は旧志摩(しま、嶋)郡、福岡県糸島市
5番目の彌奴国は嶺(三根)、佐賀県神埼郡三根村にある吉野ヶ里遺跡
8番目の姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番目の對蘇国は鳥栖の安永田遺跡(佐賀県鳥栖市柚比町)
16番目の邪馬国は八女の室岡・亀ノ甲遺跡(福岡県八女市)
17番目の躬臣國は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番目の巴利国は杷木(福岡県朝倉市)
19番目の支惟國は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番目の烏奴國は大野城趾(福岡県大野城市)
21番目の奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国の範囲はおおむね筑紫国(後の筑前と筑後)に一致する。
筑紫国は、東に同盟国である豊国、南に時に敵対することがある肥国、北は対馬海峡を挟んで韓国、西は海である。

723 :日本@名無史さん:2017/02/25(土) 15:28:27.79
https://youtu.be/85-XncAUZXc

724 :日本@名無史さん:2017/03/02(木) 19:58:25.99


725 :日本@名無史さん:2017/03/03(金) 12:19:56.69
このスレが邪馬台国論争の王道だな。

726 :日本@名無史さん:2017/03/09(木) 19:29:43.78
畿内説もまともなのは悟っていなくなったし
九州説も納得したのは2ちゃん卒業したし
あとは畿内説の残党が議論放棄して畿内説スレを死守してるだけ

あとはまともな九州説がやることは、
たまに来る初心者に正しい説を教えてあげるくらいかな

727 :日本@名無史さん:2017/03/09(木) 21:04:35.63
意外と新参者も多いんだよなあ。
コピペとかしても、初めて読んだみたいな反応が返ってきたりする。

728 :日本@名無史さん:2017/03/09(木) 21:05:35.37
>>727
それ畿内説の荒らしだから

729 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 00:20:09.20
大勢は宮崎だよな?

730 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 00:59:17.08
今の主流は伊都国説じゃないかな。
宮崎は考古学的に弱い。
そもそもここは九州北部スレだよ。
宮崎は北部じゃないような。

731 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 22:18:15.80
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です

732 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 19:44:12.35
「小学生より学力が足りないで賞」受賞

「テンプレの誤字も直した方が良いで賞」受賞
↓              
「まだわからないで賞」受賞

俺は悔しくて泣いた。

だが、ボキャ貧キウスの知らない単語な線もある。

「無教養露見で賞」受賞

❓❓❓
.      /テンプレ\ 誤字ったってキウスやサイキバみたいは
     /        \   単なるタッチミスもある
.   /      (゚) (゚)  \   ❓❓❓
   |        )●(    | キウスが笑い者なだけ❓
.   \       廿   / 誤字って何❓
.   ノ            \    ❓❓❓
👆「自分で発見しないと笑いもので賞」

733 :日本@名無史さん:2017/04/17(月) 23:05:08.97
北部九州か宮崎しかないんだよな
畿内のは100%ない

734 :日本@名無史さん:2017/04/18(火) 16:16:08.67
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。

つまり彼らは大王ではなかったのだ。
やはりこの時代は女王国であった。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。

それがいるのだ。

@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国の都とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。

これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home

735 :日本@名無史さん:2017/04/18(火) 16:27:17.61
【畿内説の主張のまとめ】
>>1の発言をまとめたもの)
「瀬戸内海勢力が枢軸となって、総花的に纏向で田舎娘を共立した」
「首長のいない広域政治集団が発生したが、圧力が高まって、急激な首長権が確立した」
「弥生中〜後期に隆盛を誇った伊都国は、蝋燭の最後の輝きをはなって音もなく衰退した」

【東遷説の主張のまとめ】
  @弥生中〜後期に隆盛を誇った伊都国は、蝋燭の最後の輝きをはなって音もなく衰退した
  A首長のいない広域政治集団が発生したが、圧力が高まって、急激な首長権が確立した
  B結果的に伊都国の太陽祭祀を継いだ卑弥呼が、瀬戸内海勢力の実力を背景として、総花的に纏向で共立された

736 :日本@名無史さん:2017/04/18(火) 20:02:10.58
>蝋燭の最後の輝きをはなって音もなく衰退した

畿内の某遺跡なら音もなく衰退したのだが
北部九州は5世紀6世紀に最盛期を迎える。
考古学的事実です。

737 :日本@名無史さん:2017/04/18(火) 20:31:43.75
畿内説権威【春成秀爾】曰く「南は東の間違い。書き間違える事はよくある」といった内容を言い切っております。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
https://youtu.be/eEAkOh3lsY0

【畿内説者】は「春成秀爾はそんな事は言ってない!嘘つくな!」と声を荒げますが、「動画上の言葉と完全に一致していない」という事を言い掛かりとして「そんな事は言ってない!嘘つくな!」と主張しております。
「そういう内容で言っている」というのは大人なら常識的に判断しますが、一字一句同じじゃないと「嘘つき認定」してきます。
かなり追い詰めらてるようです。

738 :日本@名無史さん:2017/04/18(火) 23:58:59.26
>>736
筑紫倭国は6世紀まで健在であったと。

739 :日本@名無史さん:2017/04/19(水) 00:18:55.99
>>737
でも嘘だしなー

740 :日本@名無史さん:2017/04/19(水) 02:35:35.84
https://goo.gl/Y4tSAe
これ嘘だよね!?本当だったら困るわ。。

741 :日本@名無史さん:2017/04/19(水) 07:48:12.57
>>739
そう思う根拠は?

742 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 18:54:22.16
平原を台与に比定してる九州説の人がいたけど、みてるかな

平原には翡翠が副葬されていないよね。

倭国大乱は、
筑紫邪馬台国と、その南の狗奴国とが九州で争った倭国王座争いだけど、
日本各地も巻き込まれて両大国のどちらかについて戦った。

銅戈・円形周溝墓はニギハヤヒ一族で、倭国大乱の直前の分布域が
大阪湾沿岸、纒向、越後(土製銅戈)、長野
これが狗奴国側。
唐古鍵の翡翠はニギハヤヒからナガスネヒコへの結納品。

倭国大乱においては、
越後は狗奴国側で、高地性環濠集落を形成して防御。鉄器に乏しい。
越中富山までは邪馬台国が制圧して、北部九州系の四隅突出を建築。

こう思っている。

743 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 18:54:50.92
越後における、狗奴国の防御用高地性環濠集落である、
古津八幡山遺跡や山元遺跡が姿を消すのが3世紀中頃。
戦いの跡が無いことから、狗奴国滅亡あるいは衰退に伴って、
越後で孤立して投降したと思われる。

魏志倭人伝でも、倭国の産物に青玉=翡翠が加えられていることから、
250年頃には邪馬台国が越後を落として、翡翠採取の権利を得たものと思われる。

つまり、翡翠を副葬しない女王とは、卑弥呼。

平原の前の時代には、三雲南小路など、筑紫王墓に翡翠はふんだんに副葬。
平原の直後からも、那珂八幡古墳など、翡翠はふんだんに副葬。

最大級に豪華な平原に、しかも女王墓である平原に、
なぜか翡翠が副葬されていないことから、
越後を占領して数十年後に亡くなった台与ではなく、
平原は卑弥呼の墓であると考えられる。

744 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 20:00:35.34
銅矛も銅戈も、細形の武器用のものは紀元前から九州に存在する。
鋳型もほとんどが九州で出土。

まず、銅矛が九州→瀬戸内西部や四国太平洋側へ拡散。
次いで1世紀後半から2世紀初頭に高地性集落が東進する。
高地性集落の最終期に、銅戈が九州と大阪湾に登場して、
倭国大乱の開始と同時に姿を消す。

銅戈が九州と大阪湾に離れて出現することから、
瀬戸内各地に銅戈を用いる国家がいくつもあったのではなく、
当時王墓があった地域、すなわち北部九州倭国のみが用いた
祭祀用青銅器であることがわかる。

そして、遠征先の大阪湾のみでなく、九州各地にも銅戈が埋納されていることから、
銅戈による祭祀とは、
出陣時に2本の銅戈を捧げて出陣式。
1本は九州の大地に埋納して出陣。(九州型銅戈を埋納)
遠征に成功したら、遠征先にもう1本の銅戈を埋納。(大阪湾型銅戈を埋納)

745 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 20:03:01.55
銅戈の使用法はそのまま銅矛の使用法でもあった。

銅矛も、形式こそ九州本土と遠征先で分けてはいないが、
同様に、九州での出陣式と、遠征先での勝利式典でそれぞれ埋納したのだろう。

九州側での出土分布は、対馬、宗像、宇佐などに多く、
九州から水軍で出陣する際の軍事拠点を示している。

鳥居の形は出陣式における、2本を並べた形状を示しているのかもしれない。

746 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 20:09:31.92
長野県中野市の柳沢遺跡で九州型銅戈と大阪湾型銅戈が同時に出土した。

国譲りで敗北したオオクニヌシ系の人々が銅鐸集落を営んでいた柳沢遺跡へ
九州倭国の当時正規兵だった、ニギハヤヒ銅戈軍が攻め込んだのだろう。

ここで九州型銅戈が出土していることから、銅戈の形式の謎が解ける。

九州型銅戈=出陣式用銅戈
大阪湾型銅戈=征服勝利式典用銅戈

つまり、北部九州宗像から出陣した銅戈軍6部隊が、
柳沢遺跡に攻め込んで制圧した。

そのうち1部隊は、勝利式典もそこそこに、
余分に持ってきていた出陣式用銅戈をも埋納して、さらに南へと進軍していった。

よって、既に発掘されていなければ、
柳沢遺跡の6本と同じ征服勝利式典用銅戈が、より南のどこかに眠っているはずである。

747 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 20:12:12.99
柳沢遺跡での同時出土によって、
九州型銅戈=出陣式用銅戈
大阪湾型銅戈=征服勝利式典用銅戈
であることがわかった。

九州型銅戈=出陣式用銅戈が全て九州から出土するということは、

高地性集落に引き続いて大阪湾に上陸していった銅戈軍は、
全て北部九州から出陣したことがわかる。

つまり
北部九州から先に東征した吉備や阿波の北部九州系領主ではなく、
北部九州から直接ということを意味している。

748 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 20:52:34.66
・日本海沿岸には銅矛がさほど分布しない
・紀元前には丹後扇谷に大規模鉄工房建設
・四隅突出が一斉に建築されるのは、倭国大乱の前中期=狗奴国がまだ元気

以上から、
北部九州倭国が日本海を新潟まで制圧したのは、
オオクニヌシ=銅矛より前、
スサノオが九頭竜川の非倭人勢力=ヤマタノオロチを倒した
紀元前であろう。

四隅突出は、邪馬台国が戦時体制として、
もともとの倭種属国だった日本海沿岸の邪馬台国側地域の
支配体制を強化したのだろう。
水軍にとって要衝である丹後若狭だけは邪馬台国直轄

アマテラス=北部九州倭国の倭国王
スサノオ=東方(=日本海沿岸)担当の王族将軍
ツクヨミ=北方担当の王族将軍
半島領土を失ったので、月読神社は壱岐にしか残っていない
スサノオは日本中で祀られている

オオクニヌシとは一人の英雄で、
既に日本海沿岸に分布していた倭人倭種領主と次々に縁組して、
銅矛を旗印に瀬戸内四国へ倭種属国を拡大した。
出雲に新首都を作り強大になったため、老年に粛清されたのだろう。
(荒神谷や加茂岩倉)

749 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 21:03:27.95
粛清されたオオクニヌシの子孫タケミナカタが、
越後〜長野に逃げ込んで、1世紀末に北部九州倭国に反旗を翻した。

弁財天古墳群は、
タケミナカタの反乱に対応して建設された
北部九州倭国の前線基地で、
最終的には倭国銅戈部隊が柳沢遺跡へ派遣されて鎮圧した。

>よって、既に発掘されていなければ、
>柳沢遺跡の6本と同じ征服勝利式典用銅戈が、より南のどこかに眠っているはずである。

非常に正確な歴史書である記紀によれば、
諏訪湖周辺にあるのだろう。

750 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 21:24:34.37
およそ鉄に乏しいあるいは鉄に苦労している3世紀遺跡は
九州なら狗奴国、九州外なら狗奴国側についた集落、ということだろう。
筑紫邪馬台国と敵対したから、半島からの鉄資源供給を止められ、
域内の金属器をかき集めて武器に転用した。

これは日本海沿岸でも同様。

翡翠の吹上遺跡なども、中期までは信州系土器(タケミナカタ領土)
後期から北陸系土器(倭国銅戈部隊が進駐)となるが、
土製銅戈や土製銅鐸が出土している。

倭国大乱時に邪馬台国と敵対してしまい、金属資源の欠乏で苦労した様が伺える。

銅戈部族であるから、土製銅戈は当然出陣式で使ったのだろうが、
土製銅戈を使っていた時点で出陣の結果がどうなったかは
かわいそうだが容易に予想がつく。

751 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 21:27:12.35
>
いろいろ疑問もあるが面白い考察だと思う。
邪馬台国というよりそれは倭国だと思う。
古代における倭国の勢力の北限は筑後までだが、その時期を特定する話は初めて目にした。
スサノオは各地に祀られるが、佐渡に残るスサノオと五十猛の伝承は具体的なものであり、注目に値する。
逆に言えばスサノオやアマテラスの実年代も知ることが可能ということかもしれない。
ただ、そこに狗奴国を絡めるのは如何なものか。
熊本の勢力が筑紫を超えて越後に影響できたとは考えにくく、別の要因を考えたほうがいいのではないか。

752 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 21:39:45.37
狗奴国が熊本であれば、熊本より北の弥生先進地域の全て、
そして鉄その他の資源ルートも全てが邪馬台国のものであり、
邪馬台国がすぐに勝ってしまう。

倭国大乱から倭人伝まで、100年弱も狗奴国が粘ったということは、
狗奴国もまた、北部九州倭国であったことを意味する。

邪馬台国と狗奴国の境界線は次第に南下して、
狗奴国の最後は熊本だけだったかもしれないが、
一番長い間境界線であったのが、神籠石のライン。

753 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 21:52:06.55
>>752
熊本がそれだけ粘れたのは、九州北部随一の稲作生産高のおかげではないだろうか。
有明海の恵みもあればなおさらである。

狗奴国も本来は倭国の一員であったことは同意する。
いわゆる肥国であろう。

【稲作の分布】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

旧国 『延喜式』出挙稲数(束)
◆畿内 2,087,126
(内訳省略)

◆西海道 5,990,581
筑前 790,063
筑後 623,581
豊前 609,828
豊後 743,842
肥前 692,589
肥後 1,579,117
日向 373,101
大隅 242,040
薩摩 242,500
壱岐 90,000
対馬 3,920

畿内の開墾が進んだ時代でさえ、九州の方がはるかにイネの収量が多く、より多くの人口を維持できたと考えられる。
弥生時代においては、奈良、京都、大阪などに沼地が広がっており、この差はさらに大きかったと考えられる。

754 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 22:04:02.94
>>753
その稲作生産高は後世のものでしょ。
考古学的には、熊本の副葬品が豪華になるのは4世紀以降。

狗奴国が神籠石ラインを突破されたのが、200年頃。
なんでわかるかというと、
3世紀前半に阿波に中国朱が到達する=邪馬台国が宇佐〜瀬戸内海を制圧する

だから200年頃に邪馬台国が狗奴国神籠石ラインを突破して、
そこから阿波の攻略に取り掛かって、邪馬台国軍が上陸して、
一定期間占領して、その占領領主が亡くなって、中国朱を副葬、という計算。

魏志倭人伝の頃は狗奴国は熊本のみ。

3世紀末に狗奴国が滅亡して、
熊本に邪馬台国軍が進駐して、
鉄器を投入して、
4世紀に入ってから、熊本の稲作量が向上して、副葬品が豪華になっていく。

755 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 22:13:15.71
狗奴国を落とさなくても宇佐には到達できるような気もするのだけれど。

756 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 22:20:50.16
>>755
瀬戸内海への入り口に神籠石が配置されているから落とす必要がある。
瀬戸内海にもずらりと並ぶ。
狗奴国は、瀬戸内海を行き来して大阪湾上陸を果たした旧銅戈軍だから。

御所ヶ谷神籠石(行橋市)
石城山神籠石(山口県光市)
唐原山城(福岡県築上郡)

757 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 23:04:00.69
丹後扇谷が紀元前2世紀頃だから、
最初期のスサノオが九頭竜川を占領したのはそれよりも前。

そして厳重防御の鉄器工房を建設しているからには、
紀元前2世紀には北部九州倭国は越後や近江へ侵攻開始している。

さらに扇谷遺跡が短期間で終了しているということは、
九頭竜川若狭湾のヤマタノオロチ勢力以外には、
北部九州鉄器国家に抵抗できる勢力はおらず、
あっという間に北は筑後まで、そして川沿いに内陸へと侵攻していったのだろう。


南は琵琶湖だが、
日本海から琵琶湖には一旦陸路だから、兵站が伸びすぎる。

だから近江への侵入はだいぶ遅れて、
先に東から前方後方墳勢力が伸びてきた。

倭国は1世紀後半から2世紀になって琵琶湖に侵入したものの、
前方後方墳国家や畿内の人口密集集落群に対しては、
いきなりの侵略はできず、
最初は平和裏に伊勢遺跡などで交易したのだろう。

758 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 23:04:52.48
筑後は越後の間違いだな。

759 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 23:21:26.23
瀬戸内海も同じ感じで、
1世紀中頃に淡路島に垣内や舟木という大規模鉄器工房が作られている。

対馬海峡の横断も、瀬戸内海の横断も、
共に激しくて刻々変化する潮流を読み切らなければ渡れない。
オオクニヌシの頃はそこまでの航海術は無かった。

壱岐ツクヨミによって倭国にもたらされた高度な航海術が、
北向きには57年の朝貢
東向きには淡路島の鉄器工房
という結果をもたらした。

高地性集落は、沿岸を占領した倭国が、
内陸へと逃げ込んだ原住民の反撃を監視掃討するためと、
狼煙によって宇佐の水軍基地と連絡するために建設維持した。

ニギハヤヒ銅戈円形周溝墓一族が、スサノオ=倭国東方侵攻王族部隊に就任し、
淡路島を拠点に、
手薄な阿波、吉備、紀伊を落とし、じりじりと寄せて
神戸元住吉
激しい抵抗
ナガスネヒコと縁戚
大阪湾住吉上陸

オオクニヌシの轍を踏まないように、
ニギハヤヒは各地に神籠石を建設してから、一世一代の勝負をかけたのだろう

760 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 23:35:28.84
用意周到に狗奴国を樹立したニギハヤヒ一族は、
倭国大乱開始直後は倭国領を席巻したはず。

瀬戸内海を行き来していたのだから、航海術も身に着けており、
一時期は壱岐対馬も制圧。

狗奴国の最盛期は180年から190年頃で、
同時期の「後漢」の有力者「曹操」へ朝貢した。

そしてもたらされたのが金銀錯嵌珠龍文鉄鏡。

北部九州各地や、富山までの日本海沿岸の旧倭国王側は、
卑弥呼を女王に擁立して、邪馬台国を樹立。
堅守の伊都を起点に形成逆転。

狗奴国王は最後は京都郡で捕らえられ、記紀によると持ち物を全て譲渡して処刑された。
譲渡したものとは、57年金印であろう。

だが、曹操が渡してしまった金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、
熊本にいた狗奴国皇子が持っていたため、
これが大問題となる。

魏使が現地派遣され、どうするか検討した結果、
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を取り返すのは困難との結論に至り、
(熊本に攻め込んでも、倭国未踏の鹿児島へ逃げられる可能性が高いため)
世界最大の銅鏡「八咫の鏡」を作成し、これを倭国王の象徴とした。
併せて金印も新規作成。「親魏倭王=魏と親しい倭王」だから対等であろう。

761 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 23:40:35.40
なぜ「親魏倭王=魏と親しい倭王」という破格の対等待遇かというと、
狗奴国側の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が皇帝クラスの代物だから。

国内的には、世界最大の銅鏡「八咫の鏡」でよいのだが、

卑弥呼を魏倭国王などにすると、
国際的には、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の方が格上になってしまう。

曹操の子孫である魏としては、
国祖曹操が過去にあげてしまった金銀錯嵌珠龍文鉄鏡に釣られる形となった。

762 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 23:52:38.45
>>761
曹操関係ないし

763 :日本@名無史さん:2017/04/24(月) 12:55:13.11
乱立晒しあげ

764 :日本@名無史さん:2017/04/25(火) 20:34:15.09
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です



この衝撃的な失言を落とすために
スレ乱立して板操作しておりますですよ

765 :日本@名無史さん:2017/04/26(水) 20:34:22.02
なんでその常識的定説が失言で
どこが衝撃的なのか
全く理解できない

766 :日本@名無史さん:2017/04/26(水) 21:01:23.27
狗邪韓国は女王の領域、つまり倭国。

767 :日本@名無史さん:2017/04/26(水) 21:04:10.53
そりゃそうだw
首都に鉄器が皆無なくて詰んだのにこれ以上ハードル上げられないよねw

768 :日本@名無史さん:2017/04/27(木) 01:50:05.80
倭人の支配下にある韓人の国かもしれないよな

769 :日本@名無史さん:2017/04/27(木) 10:14:37.57
1 ◆q8leUXpsw. こいつが邪馬台国スレを乱立させているのか?
日本史板になんの恨みが???
日本の歴史が嫌い??

770 :日本@名無史さん:2017/05/04(木) 11:37:16.58
内行花文鏡は、四葉→→蝙蝠に進化するのですが、
四葉の頃は、全部輪があって、
蝙蝠に入った時にいったん輪が無くなって、
魏晋の時代に入って、輪が再登場する、という意味です。

だから、輪のある蝙蝠が九州に多いのだから、
晋と交渉していたのも北部九州であった。


平原の内行花文鏡は、超大型も含めて、最初の四葉形式を踏襲しています。
蝙蝠の超大型ではなくて、四葉を2倍にした八葉なのです。
ということは、
倭国大乱、三国志動乱の前に入手した四葉の内行花文鏡を元にして、
それを進化させたのが、超大型内行花文鏡。

出発点が古い形式であるという意味であって、
もちろん、八葉であったり大型化したりという部分は新しい形式です。

771 :日本@名無史さん:2017/05/04(木) 11:37:42.26
下池山古墳 大型内行花文鏡 埴輪なし 前方後方墳
柳本大塚古墳 大型内行花文鏡 前方後円墳

以上の古墳はいずれも三角縁がないので、
大型内行花文鏡の時代=前方後円墳が作られ始めた。

平原の超大型が卑弥呼で、下池山や柳本大塚がその直後、という関係でしょうか。
どちらにしても、平原を2世紀などに持っていくのはもう無理ですね。


大和天神山古墳 方格規矩鏡6 内行花文鏡4 画文帯神獣鏡4 など合計23面
この前方後円墳の存在もあります。

となると、九州の那珂八幡古墳は三角縁が出ていることから、
柳本大塚や大和天神山、ホケノよりも後、ということになりますね。

772 :日本@名無史さん:2017/05/04(木) 12:38:59.41
平原(方形1号+円形2号) 46.5 内行花文鏡・八葉
下池山(前方後方墳) 37.6 雲雷文帯内行花文鏡・四葉
柳本大塚(前方後円墳) 39.8 雲雷文帯内行花文鏡・四葉
平原           27.1 雲雷文帯内行花文鏡・四葉

いずれも雲雷文帯であり、かつ葉が初期形態である。
(平原の超大型のみ雲雷文帯の中の渦がない)
これは他の多くの仿製内行花文鏡に共通する。

もし別々の有力者が、別々のオリジナル舶載内行花文鏡を元にして仿製鏡を製作したのであれば、
このような後漢鏡の中でも古い形式のものではなく、
葉が変形したものや、蝙蝠鈕座のもの、あるいは雲雷文帯が失われた形式のものなど、
もっと新しい形式の後漢鏡をベースにした仿製鏡も作られていたはず。

同じ葉の形式で、雲雷文帯を持つ仿製鏡が量産されていたということは、
いずれも同じ製作集団によって作られていたことを意味する。

そして、大きさのバリエーションはあるものの、
文様のバリエーションが乏しいから、
比較的短期間に量産されていたことになり、
平原1号2号墓は、前方後円墳の出現と極めて近しい時期に造られた。
つまり3世紀。

773 :日本@名無史さん:2017/05/04(木) 12:48:42.45
平原遺跡1号墓 18.8 長宜子孫銘雲雷文帯内行花文鏡・四葉
籠神社・息津鏡 17.5 長宜子孫銘雲雷文帯内行花文鏡・四葉

この2枚が、全ての仿製内行花文鏡のオリジナルであろう。

卑弥呼が魏から貰った百枚を、各地有力者へ配ったうちの2枚と考えるか、
倭国大乱前に入手した後漢鏡が各地へ配られて、伊都で仿製鏡が発展したと考えるか。


饒速日(=彦火明命)が畿内へ持ち込んだ十種神宝の中に、
同じく彦火明命を主祭神とする籠神社と同じ組み合わせの、
沖津鏡・辺津鏡が存在することから、現時点では後者と考えられる。

774 :日本@名無史さん:2017/05/04(木) 19:02:23.06
後漢前期=焼溝漢墓・第四期(40-75) 長宜子孫銘の四葉内行花文鏡は未登場
後漢中期=焼溝漢墓・第五期(76-146) 四葉の内行花文鏡が出現
後漢後期=焼溝漢墓・第六期(146-190) 蝙蝠の内行花文鏡が出現

ということは、平原に>>773のオリジナル内行花文鏡が舶来したのが
76年以降。

長宜子孫銘雲雷文帯内行花文鏡・四葉であるから、
2世紀中旬、倭国大乱の直前かつ黄巾の乱(184〜)の直前に
滑り込みで来日した、当時の最新型後漢鏡だったのだろう。

公孫氏の台頭など東アジアの情勢不穏が続き、
日本では、四葉の雲雷文帯内行花文鏡をオリジナルとして
国産鏡を生産開始。

卑弥呼時代までに八葉の超大型内行花文鏡を開発した。

775 :日本@名無史さん:2017/05/04(木) 19:06:40.30
蝙蝠鈕座・雲雷文帯無し・の内行花文鏡は170年頃から、遅くは晋代まで作られ続けた。
239年の朝貢の時にも舶来したかもしれないし、
その後の頻繁な魏とのやり取りの中で必ず舶来しているはず。

にも関わらず、
国産内行花文鏡は雲雷文帯・四葉であり続ける。

ということは、
国産内行花文鏡の量産は、蝙蝠鈕座の影響を受けて変化することのない、
ごく短期間に行われたことを意味する。

776 :日本@名無史さん:2017/05/04(木) 19:15:50.29
形式の変化に着目すると、
本場中国において、四葉から蝙蝠に変化するのが、第五期の70年かかっている。

170年にオリジナルの長宜子孫銘雲雷文帯内行花文鏡・四葉(>>773)が来日し、
それをコピーして仿製鏡の生産を開始したとして、
170+70年=240年に、仿製内行花文鏡では蝙蝠ではなく八葉への変化が起きた。
理に適っている。

他の仿製内行花文鏡にそれ以上の変化は認められないことから、
他の大型内行花文鏡が作られた時期は平原の超大型とさほど変わらないことが確実であり、

>>772のごとく、
平原遺跡は前方後円墳の出現とほぼ同時期に造られたことになる。
3世紀中旬〜後半であろう。

777 :日本@名無史さん:2017/05/04(木) 19:30:38.01
平原女王が大量生産したであろう仿製の雲雷文帯内行花文鏡・四葉が、
蝙蝠の影響を受けずに約70年のガラパゴス成長を遂げたことから、
蝙蝠の舶載鏡によって年代決定することが出来る。

蝙蝠鈕座内行花文鏡がドバっと来日したのは、239年以降。
だから舶載の蝙蝠が出土する遺跡は全て239年以降。
もちろん北部九州が主。

778 :日本@名無史さん:2017/05/09(火) 06:40:06.76
むなかたが沖の島しか登録候補にならなくて揉めてるが
そりゃそうだわな。

紀元前から日本建国に貢献して、半島領土の経営に関係して、
漢魏との交流、好太王碑文の事実など、
東アジア史に多大な影響を及ぼした
より古くから存在して国際的に活躍していた陸上部分の勢力についての
正しい歴史を示せないんだから。

そりゃ欧米の人から見たら、
交通要地にあった島の遺物だけが重要、という結論になるわな。

779 :日本@名無史さん:2017/05/09(火) 12:15:43.86
形式の変化に着目すると、
本場中国において、四葉から蝙蝠に変化するのが、第五期の70年かかっている。

170年にオリジナルの長宜子孫銘雲雷文帯内行花文鏡・四葉(>>773)が来日し、
それをコピーして仿製鏡の生産を開始したとして、
170+70年=240年に、仿製内行花文鏡では蝙蝠ではなく八葉への変化が起きた。
理に適っている。

他の仿製内行花文鏡にそれ以上の変化は認められないことから、
他の大型内行花文鏡が作られた時期は平原の超大型とさほど変わらないことが確実であり、

>>772のごとく、
平原遺跡は前方後円墳の出現とほぼ同時期に造られたことになる。
3世紀中旬〜後半であろう。

780 :日本@名無史さん:2017/05/09(火) 13:03:02.86
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。

つまり彼らは大王ではなかったのだ。
やはりこの時代は女王国であった。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。

それがいるのだ。

@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国の都とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。

これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home

781 :日本@名無史さん:2017/05/09(火) 14:07:32.83
>蝙蝠鈕座内行花文鏡がドバっと来日したのは、239年以降。
>だから舶載の蝙蝠が出土する遺跡は全て239年以降。

魏から下された蝙蝠は、四方八方に向かってすばらしい躍動感を有しており、
デザイン的にみて格段の進歩を成している。
この新しい鏡のせいで、
それまで威張っていた長宜子孫銘雲雷文帯内行花文鏡(四葉・八葉)は流行遅れになったのであろうな

782 :日本@名無史さん:2017/05/09(火) 15:46:18.40
>>778
魏使上陸の「末羅國」を呼子だ唐津だ言ってるような頓珍漢じゃ、そりゃ世界遺産登録も外される訳だ。

783 :九州王:2017/06/02(金) 23:22:44.97
魏志倭人伝イメージ図
http://www43.tok2.com/home/sekaishouji/yamatai2.gif

784 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 22:16:00.17
BS-TBS 諸説ありで邪馬台国は吉野ヶ里で決定しました

785 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 23:37:17.41
吉野ヶ里も邪馬台国の領内ですが卑弥呼の都は伊都国ですね。

786 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 04:16:51.42
邪馬台国は使者が行った折の卑弥呼の拠点であり、、
卑弥呼の所在は倭国内を転々としていたのではないでしょうか?
南至邪馬壹國 女王之所都・・・・・女王の当時いた場所で倭国の一国でというより当時繁栄していた地?・・吉野ケ里?
倭国の女王後、大使館的な物が倭国各国にあり、卑弥呼は一地域に永住していなかったのでは??

787 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 04:26:42.56
つまり、「南至邪馬壹國 女王之所都」は倭国全体の所都で都(卑弥呼の住まい)替えは頻繁に行われていた

788 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 07:12:47.70
下女1000人の王宮は、そうそう移転できないよ。
あちこちにあったなら、一つ二つはもう発掘されているはず。

789 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 07:23:01.96
1000人が一度に建物に入る必要はないわな

790 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 07:36:26.88
一つの建物である必要はないが、1000人が毎日働いていたはら、それ相応の規模の宮殿だったろう。

791 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 08:14:34.61
当時はほとんど建物外でいろいろやってたんんじゃね

792 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 08:30:29.79
宮殿と言っても、柵の中に数百もの竪穴式住居があっただけだろうな。

卑弥呼を見た人が少ないというのは、女の人が頻繁に出入りしているから、
卑弥呼と側近が出入りしてもあまり気付かれなかっただけの話だろう。

巫女なんだからちょくちょく出張くらいはしてたと思われ。

793 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 08:37:59.68
吉野ヶ里とは思っていないが
吉野ヶ里に大型高層建物があるんだから
邪馬台国にも宮殿っぽいものはあるだろ。

ただし生活は竪穴式住居のほうが快適らしく
吉野ヶ里は宮殿の周囲に王、王妃用、
高官用、兵士用の
竪穴式住居が並んでいるよ。

794 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 01:00:57.56
吉野ヶ里にはまだ王様はいないんじゃないの

795 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 07:09:28.41
少なくとも、高床の建物でないと郡使が宮とは認識しなかっただろうな。
楼閣とも表現されているし。

796 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 07:23:01.13
九州には、天皇家の高貴な匂いが無い。 
九州には、古代天皇の湯治行幸記録が無い。
九州には、天皇宮中祭祀のお呼びが無い。
よって、九州には、邪馬台国は無かった。

797 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 07:49:54.18
天皇と邪馬台国の関係を明らかにしないと、その意見は無意味だ。
あと、九州北部の王墓は三種の神器が副葬される。

798 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 08:21:49.46
>>797
>あと、九州北部の王墓は三種の神器が副葬される。

と言いながら、
九州には、古代天皇の湯治行幸記録が無い。
九州には、天皇宮中祭祀のお呼びが無い。

799 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 08:26:58.95
九州北部から水行三十日、陸行一月でまだ九州北部に居るんか。

どんだけノロマなカメさんなんだよ。

800 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 10:15:19.74
>>799
帯方郡から水行10日で末蘆国、末蘆国から伊都国経由で1月(2倍暦により実際は半月)
邪馬台国は徐福が作った国なのです(いいなカメさん

801 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 10:21:44.26
>>800
アナタ タイワンニガー

アナタ タイワンブタチックチャイナニガー

アナタ マニラ カエル カエル

マニラタイワン カエル カエル

アナタ ニホン デテク デテク

ニホン デテク デテク デテク

802 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 12:58:17.08
お約束のツッコミだなw

803 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 13:33:54.29
>>801
水田稲作、絹などいろいろなものが九州から半島へ伝わりました(良かったね

804 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 16:07:13.38
>>803
アナタ タイワンブタチックニガー

アナタ ボルネオ カエル カエル

ボルネオタイワン カエル カエル

アナタ ニホン デテク デテク

ニホン デテク デテク デテク

805 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 23:19:56.73
>>800
帯方郡から水行20日で狗邪韓國、狗邪韓國から伊都國へが水行10日陸行1日(月)

806 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 23:24:56.00
>狗邪韓國から伊都國へが水行10日陸行1日
これは海の上で寝たという意味か?
島で天候待ちとか言うなよ

807 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 23:43:38.68
魏書東夷伝韓条に韓(馬韓、弁韓、辰韓)は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と隣接していると記されている。 この記述が気になるね。

少なくとも朝鮮半島南部の沿岸部の島々は、元々倭の領域だったのかもね。

返還してもらわなあかんな。

808 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 23:45:26.93
>>807
南は倭と隣接しているって、海を渡れば倭(対馬)だってことでしょ
今の国境と同じだよ

809 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 00:25:08.87
>>806
昼は船を漕ぎ、夜は港で休む。
対馬海峡は3日かけて渡り、1日に進む距離を千里とした。

810 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 00:27:28.92
>>809
水行10日じゃないんかい

811 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 00:30:06.06
朝鮮半島の南岸からは倭国女王である卑弥呼の領域だよ。
畿内説の中には、九州より東に女王の領域の端を設定して帯方郡からの距離を辻褄合わせようとする人がいるが、根拠のない妄言だよ。
倭国はそもそも海人の一族が対馬海峡の交易を独占して力をつけたもので、その王の称号がアマテラスだったんだよ。
だから、朝鮮半島南岸は倭国のもので、倭国の中心は博多だった。
卑弥呼の宮は、博多湾を見下ろすクシフル山の麓の筑紫日向伊都国だった。
その証拠が王位の象徴である八咫の鏡だよ。

812 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 00:31:19.45
>>810
おや?
しかし対馬海峡の上で手を休めると、さすがに流されてしまうぞ。

813 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 02:06:32.65
>>809
対馬海峡を3日で渡るのは物理的に不可能

814 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 03:56:40.38
はぁ?

対馬海峡なんてほんの5〜6時間ですよ。

対馬から壱岐まで50kmほど。

丸木舟はふつうに漕いでも時速10km、最速で時速20km以上も出せるんです。

どんな素人でも半日あれば渡れてしまうんですよ。

ただし、クルー全員が漕ぐ事が前提だが。

815 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 04:52:04.53
>>814
あなた知能低いね

816 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 07:11:26.62
>>815
すんまへん。出来の悪い雑魚が混じりました。

817 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 10:42:13.72
>>816
対馬海峡が5〜6時間で渡れるなんて、出来の悪い云々を通り越して
脳に蟲が沸いてるだろ

818 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 11:11:08.14
昼夜を問わず漕いだなら、大変な難所だったことになるな。
実際はどうだったのか。

819 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 12:16:45.11
>>818
実際は
「対馬海流に流されて、末盧国(呼子・唐津)は有り得ない。」
となる。

820 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 12:16:52.16
朝鮮通信使船の記録から推定すると櫂走の速力は2.5〜3.5ノット
帯方郡使船もそのくらいだろう(野性号は1.67ノット、なみはやは2ノットだったらしいが)
海流が1〜1.5ノットなので、流されながら目標にこぎ続ける
すると釜山→鰐浦は推定11〜13時間だったらしい

821 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 12:24:05.05
たったの50kmを3日=72時間もかかるという事は時速1kmも出てないという事ですよ。

対馬海峡が危険な事はみんな分かってる事なんですから、
まったりと渡ってるような場所じゃない事も分かってるハズなので、
最速で一気に3時間ほどで渡っていたと思うけどね。

対海の人々は南北に市ギンす。

対馬の人々は釜山港と唐津港を行ったり来たりして生計を立ててたんだから、
そんなに時間がかかるハズがないんです。

822 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 12:25:20.48
すんまへん。出来の悪い雑魚が混じりました。

823 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 13:08:20.64
>>821
>たったの50kmを3日

こいつほんとに脳が腐ってんじゃね?

824 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 13:42:49.92
釜山→厳原は大型フェリー20ノット(37km/h)で2時間〜2時間40分

825 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 16:30:33.29
九州〜朝鮮間なんて旧石器時代から何万往復もしてるだろう

826 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 17:47:07.52
江戸時代の朝鮮通信使ですら1,2か月を必要としたのだぞ。
弥生時代に10日の設定だと逆に早すぎるという指摘が出て当然なのに、
畿内説は1日で渡れるとゴネている。

朝鮮通信使の場合は、毎夜の接待を受けていたことが記されている。
あとは、雨、台風、随行員の病気、死去と葬式、などなどだ。

朝鮮通信使は親善目的だから接待漬けだったが、
魏使は戦時下の同盟交渉目的だから、なるべく早く到着することを目的にしただろう。
だとすると、10日が最速日程であったとして辻褄は合う。

ちなみに、畿内説がなんで1日で渡れるはずとゴネているかというと、
壱岐の原の辻遺跡やカラカミ遺跡に立ち寄らせたくないから。
(弥生ダントツ最多の数十の卜占遺物出土+日本最古の弥生船着き場出土のダブル役満)

魏志倭人伝の卜占記載が完全に北部九州で消化されてしまうからな。

朝鮮通信使は必ず対馬と壱岐のそれぞれに停泊している。
弥生時代だと尚更のこと停泊を必要としたわけだ。

827 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 18:03:14.11
>>826
それぞれの島間を1日で渡れるんだから、距離を日数で表す表記としては3日とするのが妥当。
実際には天候、潮待ち等々で余計に日数はかかるだろうが、それは運不運による変動であって、
そのような不確定なものを挿入すべきではないだろう。

828 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 18:03:16.34
弥生時代の倭国は対馬海峡と博多湾沿岸でほぼ全てだからな。
畿内なんてお呼びじゃない。

829 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 18:07:27.80
釜山〜唐津はさすがに1日じゃ無理だろ。

釜山〜巌原まで半日はかかるからな。

巌原で泊まって、翌日半日漕いで唐津着だとすると、最速で1日半だな。

830 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 18:12:32.33
>>829
壱岐はどこへいった

831 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 18:24:49.20
距離は千里×3と記載されている。
日数は張政らの旅誌から転載。
それだけのことだ。

壱岐には住吉神社=一大率がある。
一大国の一大率長官が責任を持って魏使をもてなしたのだろう。

張政らは、
生まれて初めて倭船に乗って、持衰をもの珍しく日記に記し、
生まれて初めての海外で、生まれて初めての卜占をしてもらって、もの珍しく日記に記した。
それだけの簡単なことだ。

考古学的にも文献史学的にも人間行動学的にもごく自然に北部九州説となる。

832 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 20:19:44.64
<国会議事堂の候補たち>

【万行遺跡(石川県七尾市)】 3世紀後半〜4世紀初頭
高床建物3棟が南北方向に軸を揃えて配置 (西3棟から東3棟への移築あり)
北極星を基準とする真北に軸が合っている

東は臼池川に、北は七尾湾に面する(水運に便利)
柱穴直径1〜2m(柱直径40cm)

床面積150平方メートル 2棟(南北9.3m×東西17.2m)
床面積320平方メートル 1棟(南北18.6m×東西17.2m) 3世紀最大!!!


【稲部遺跡(滋賀県彦根市)】 3世紀後半
琵琶湖に隣接(水運に便利)
柱穴直径0.6〜1.5m(柱直径:30〜40cm)

床面積188平方メートル(16.2m×11.6m)
床面積145平方メートル など7棟


【纏向遺跡】 3世紀前半〜3世紀中旬 (土器編年マジック)
高床建物4棟が東西方向に軸を揃えて配置
真北に対して西に5度ぶれている

南北はそれぞれ川に、西は水路に面する(水運に便利)
柱穴直径1〜1.7m(柱直径:30cm)

A:床面積6平方メートル 1棟(南北1.3m×東西4.8m)
B:床面積25平方メートル 1棟(南北4.8m×東西5.2m)
C:床面積42平方メートル 1棟(南北8m×東西5.3m)
D:床面積238平方メートル 1棟(南北19.2m×東西12.4m)

833 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 20:47:17.22
>>826
>朝鮮通信使は必ず対馬と壱岐のそれぞれに停泊している。

そして、福津に着船した。

834 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 22:03:46.65
>>826
いつ、どこで?

835 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 22:04:32.41
>>832
いずれも卑弥呼の死後であるところが気になるのだが。

836 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 22:28:28.97
狗邪韓國から対馬の北岸・・・1日
休息日・・・1日
対馬の北岸から対馬の南岸・・・1日
休息日・・・1日
対馬の南岸から壱岐の北岸・・・1日
休息日・・・1日
壱岐の北岸から壱岐の南岸・・・1日
休息日・・・1日
壱岐の南岸から呼子・・・1日
予備日・・・1日
計10日

837 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 23:09:52.17
>>836
投馬国はどうすんの

838 :日本@名無史さん:2017/06/06(火) 23:33:57.18
>>836
話にならん

839 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 10:23:06.09
投馬國は狗邪韓國を含む朝鮮半島南岸の地域
帯方郡から投馬國までが水行20日
玄界灘は外海なので1日全力で漕いだら翌日は1日休憩

840 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 10:27:40.59
>>839
なんで邪馬台国に行くときは韓国内を陸行するのに
投馬国に行くときは水行だけで行くの?

841 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 10:46:53.11
>>839
半日休めば十分

842 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 11:01:20.76
>>840
韓国内陸行説は採ってません
帯方郡の郡治から投馬國の狗邪韓國まで黄海を南下後、東進
距離で7000里、掛かる時間が20日
>>841
朝出て夕方までに付けば良いんだから半日とか半端
昼から出て夕方までに付けなかった方向を見失いかねない
休むなら丸一日
無理して疲労も溜まらないようにしないと。

843 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 11:04:01.48
>>842
じゃあ水行10日はどこから出発して何処まで行くの?

844 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 11:40:39.19
>>842
軍隊がそんなに甘いわけなかろう

845 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 11:47:31.17
>>844
なんで軍隊?

846 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 11:51:20.35
話にならん

847 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 12:01:46.69
民間人のわけないだろ

848 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 12:17:15.41
>>847
民間人以外は全員軍隊な国なのか?

w

849 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 12:22:30.40
皇帝の命令で造った軍船だから軍人が操船したに決まってるだろ

850 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 12:23:43.18
>>849
何が皇帝の命令で造った軍船なの?

851 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 13:23:49.42
楽浪・帯方郡攻略の際に皇帝命で海船を造っただろ
あれが帯方郡に残されてたんだね

852 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 13:28:12.38
対馬海峡は倭人が独占していた。
倭船しか渡る技術を持たなかった。

853 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 13:30:30.30
倭船じゃ下賜品が乗らないから
魏の軍船に倭人の水先案内人を乗せればいいだけ

854 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 13:46:55.61
>>843
朝鮮半島の南の端の狗邪韓國から
九州の北の端の呼子まで
>>844
来た張さんは文官でしょ
>>853
魏の使者は倭船は使わないよな
大型の中国船に倭人の案内人
下級の軍人も交じってたかもしれんが
殆どは郡の下級役人や使用人だろうな。

855 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 18:08:39.96
漢化した倭人だろ

856 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 19:41:31.87
>>851
なんか証拠でもあるの?

857 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 19:44:49.21
倭人が縄文系の蛮族ならそりゃ倭船は使わんかもしれんが
鉄器やら養蚕やらからして元々高度な造船技術を持った海洋系渡来人だろうから
下手したら内陸民族の魏船より海洋民族の倭船のほうが高度だった可能性も否定はできないのだがな。

858 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 20:02:54.15
魏の軍船
https://www.amazon.co.jp/dp/B01BGM7X4Q

弥生時代の倭船
http://www.kanamonoya.co.jp/monohp/ship/2000.htm

859 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 20:04:06.35
>>856
三国志に書いてあるよ

860 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 20:05:05.74
>>859
どこに何と?

861 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 20:07:55.92
>>860
韓伝だな

862 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 20:09:57.92
明帝紀じゃね

863 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 20:59:43.79
もとのが水戦に弱かったのが魏軍
魏の軍船の製造は親水性の越系土人が下請け
越系土人は山東半島あたりのも根城
倭系海賊ともネットワークを構築しておっただろうしね

864 :周髀算經の記述内容はBC12世紀に成立していた:2017/06/07(水) 23:12:25.18
帯方郡〜倭の世界
從郡(山東半島から黄海を東行する魏船は、
帶方郡(徳積群島 京畿湾)を通って[郡を過ぎて])
 ↓ 乍南(東行から南行に方向変換)
 ↓循海岸水行7,000里(540q)----水行10日---
 ↓歴韓國(半島南岸)
 ↓乍東(珍島沿岸)
 ↓歴韓國(半島南岸)        
到 其北岸狗邪韓國(巨斉島南岸の海)
 ↓始度一海1000里
 ↓對馬國(対馬北岸)
 ↓循海岸水行(対馬北岸東岸方可400里[800里]
 ↓對馬國(対馬南岸)
 ↓渡海1,000里
 ↓一大國[壱岐北岸]
 ↓循海岸水行(壱岐北岸東岸[or西岸南岸]方可300里[600里]
 ↓海渡1,000里
 ↓末盧國(唐津中原遺跡[古松浦潟南岸])
其北岸狗邪韓國(巨斉島南岸)から 末盧國(唐津中原遺跡)まで水行3日
帶方郡(徳積群島 京畿湾)から末盧國(唐津中原遺跡)まで計水行10日
 ↓東南陸行 500里
 ↓伊都國(佐賀市惣座遺跡肥前国庁跡)
 ↓東行100里
 ↓不彌國(吉野ヶ里遺跡)女王國
末盧國から不彌國まで陸行600里[46km]
 ↓南至
邪馬壹國(邪馬壹國の官伊支馬の城柵[女王の居所では無い]八女室岡遺跡群
末盧國(唐津中原遺跡[古松浦潟南岸])から邪馬壹國(八女室岡遺跡群まで陸行1月[1000里 76.5q]
帶方郡(徳積群島京畿湾)から邪馬壹國(八女室岡遺跡群)まで12000里[920q]
 ↓南
狗奴國 (熊本平野菊池)
對馬國(対馬北岸)から狗奴國(狗奴國南端・熊本平野緑川北岸)まで周旋5000里[道程380km]

865 :周髀算經の記述内容はBC12世紀に成立していた:2017/06/08(木) 00:03:28.41
帯方郡〜倭の世界
從郡(山東半島から黄海を東行する魏船は、
帶方郡(徳積群島 京畿湾)を通って[郡を過ぎて])
 ↓ 乍南(東行から南行に方向変換)
 ↓循海岸水行7,000里(540q)----水行7日---
 ↓歴韓國(半島南岸)
 ↓乍東(珍島沿岸)
 ↓歴韓國(半島南岸)        
到 其北岸狗邪韓國(巨斉島南岸の海)
 ↓始度一海1000里
 ↓對馬國(対馬北岸)
 ↓循海岸水行(対馬北岸東岸方可400里[800里]
 ↓對馬國(対馬南岸)
 ↓渡海1,000里
 ↓一大國[壱岐北岸]
 ↓循海岸水行(壱岐北岸東岸[or西岸南岸]方可300里[600里]
 ↓海渡1,000里
 ↓末盧國(唐津中原遺跡[古松浦潟南岸])
其北岸狗邪韓國(巨斉島南岸)から 末盧國(唐津中原遺跡)まで水行3日
帶方郡(徳積群島 京畿湾)から末盧國(唐津中原遺跡)まで計水行10日
 ↓東南陸行 500里
 ↓伊都國(佐賀市惣座遺跡肥前国庁跡)
 ↓東行100里
 ↓不彌國(吉野ヶ里遺跡)女王國
末盧國から不彌國まで陸行600里[46km]
 ↓南至
邪馬壹國(邪馬壹國の官伊支馬の城柵[女王の居所では無い]八女室岡遺跡群
末盧國(唐津中原遺跡[古松浦潟南岸])から邪馬壹國(八女室岡遺跡群まで陸行1月[1000里 76.5q]
帶方郡(徳積群島京畿湾)から邪馬壹國(八女室岡遺跡群)まで12000里[920q]
 ↓南
狗奴國 (熊本平野菊池)
對馬國(対馬北岸)から狗奴國(狗奴國南端・熊本平野緑川北岸)まで周旋5000里[道程380km]

866 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 05:51:01.31
銅鐸埋納時期が前三世紀と出たことについて、本スレの解釈は ?

867 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 06:35:45.62
始皇帝 前259-前210

吉武高木遺跡 前2世紀前後
扇谷遺跡 前2世紀-前1世紀
銅鏡+鉄器

銅鐸祭祀=無鉄器、王墓なし

・銅鐸祭祀は、北部九州の王権と関係なく開始された
・少し後に銅鏡重視の北部九州王権が誕生し、銅鐸を東征していった
・青銅器の原料も朝鮮半島〜北部九州経由であるから、
 北部九州王権にとって青銅器原料は、東方銅鐸民相手の有力な交易品となりえた

868 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 07:23:49.63
>>866
倭国本朝の外、倭種の世界のことなので、少なくとも邪馬台国には関係ない。

869 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 08:15:44.15
>>866
またもや、いわくつきの炭素年代法か
いいかげんにせえwww

870 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 09:10:07.26
>>866
邪馬台国よりはるかに古いのなら関係無い話だな

871 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 14:14:17.61
本州は銅鐸以降に巨大古墳時代になったけど
北部九州なら甕棺の墳丘墓だろ?

殉葬者は奴婢百餘人とかそんな墓日本っていうか九州に有るのかよ?
魏使がもってんじゃね? 騙されてると思うぞ。

872 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 14:15:29.03
>>871
祇園山古墳

873 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 14:24:46.14
>>871
そうだなぁ、
可能性としては、祇園山古墳と平原遺跡があるかなぁ、というところだ。

874 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 14:45:15.40
ない

875 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 14:59:12.37
>>873
>可能性としては、祇園山古墳と平原遺跡があるかなぁ、というところだ。

それらは、阿波から進出した、筑紫忌部一族が残した痕跡なんですよ。

876 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 15:20:41.42
吉野ヶ里も北墳丘墓の南側に
ずらっと瓶棺が並んだところがあるね。

877 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 15:25:08.27
共同墓地ね

878 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 16:20:17.83
殉葬がある平原遺跡と祇園山では平原遺跡の方が早いので、平原遺跡が卑弥呼の墓だな。
祇園山は壹與か?

879 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 17:07:43.35
平原の殉葬らしきものって土坑墓だろ?
縄文時代から普通にあるわけだが。
なんで都合よく殉葬になるのだかw
首長に準じる地位の人たちだったのだろう。
そんなの各地に普通にあるわけだが。

880 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 17:22:31.36
祇園山のは殉葬かな? 
殉葬だと人柱的なイメージだけど同時に埋葬形式がバラバラっておかしくないか?
平原はそれっぽいけど16人? 伊都だし、壹與がこれ。 
多分、久留米の南でこの形式の円墳だね。

こういうスケールの墳丘墓だともう無くなってるカモね。
ていうか、久留米が南端の邪馬台国って親魏倭国、小さすぎw
まあ、魏も滅びる訳だよ。

881 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 17:25:52.71
>>880
あれは共同墓地

882 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 17:26:58.19
そもそも墓ってゆかりの土地に建てたりするから
卑弥呼の墓がどこだろうが邪馬台国の位置は確定しないんじゃない?

883 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 17:45:55.12
>>881
女王の墳丘の脇に円形の溝掘って同時に埋葬してる感じだけど?
埋葬の銅鏡30枚以上割ってるって、これ滅亡した後の墓で殉死したんじゃね?
時期が近いけど卑弥呼の墓、この下に隠して有るかもね。

884 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 17:47:00.59
>>878

それらは、阿波から進出した、筑紫忌部一族が残した痕跡なんですよ。

885 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 18:17:37.86
>>879
周溝に作られたなら、ただの土坑墓ではないだろう。
主墓と関係があると考えないと。
平原遺跡のは本当に殉葬だろうな。
数が少ないのは、全体を掘らずに保全してあるからだとか。

祇園山のは殉葬にしては形式にばらつきがあるというのは言われるところだな。
ただ、非常に珍しいことは確かだ。

886 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 18:18:46.33
>>882
だから、卑弥呼がいたのは伊都国で墓は祇園山だとか、いたのは高良で墓は伊都平原だとかの説が成り立つわけで。

887 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 18:22:02.18
>>880
>ていうか、久留米が南端の邪馬台国って親魏倭国、小さすぎw

そうそう。
直轄地はそんなものだよ。
魏志にも福岡と佐賀の地名しか出てこないから。
それでも、帥升が博多湾沿岸と対馬海峡だけだったのに比べると、有明海方面に拡大している。
3世紀の倭国なんて、そんなものだよ。
筑紫、肥国、豊国が中心で、あとは日本海沿岸の属州が海岸線に沿って広がっていた。

888 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 18:53:39.31
>>887
倭国はね。

日本国は270年に九州平定すると馬の輸入と鉄鋼の国内生産のため半島の開拓に乗り出して
400年までに、高句麗牧童も使って、武蔵、甲斐、信州の勅営御牧経営を成功させている。
当然、九州平定の270年には東国と四国、西国を平定していた。

対馬航路発見以降、軍隊の拡大、造船、豪族配流っで地方開拓の富国強兵の道に進んだ。
神話の九州に天孫降臨で九州が日本国発祥と言うのが完全にミスリードに嵌めている。

889 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 18:56:57.73
>>885
妄想乙です

890 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 18:57:47.97
>>888
そんな・・・・アホの言い訳は、読む価値もなく、読む気もしない。

891 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 20:43:52.21
>>890
・・・・というアホの言い訳は、読む価値もなく、読む気もしない。

892 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 21:51:24.20
古事記日本書紀がなぜ九州起源説か?

白村江の半島引き揚げは、防人に見る
髄唐との全面戦争の覚悟を持っている。

九州が大和朝廷の支配下に入ったのは270年。
百済新蘿は663年に属国化した。

固有の領土を主張すると言うことは、そういうこと。 九州は朝廷の生んだ国土。

むしろ、一貫して日本固有の領土、対馬には、相当有力な渡来豪族がいたはず。

893 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 21:55:43.97
オールでむぱ読物

894 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 22:10:54.21
竹島が韓国領土であるためには檀君神話で
天地創造の淡路島に捏造すりゃ良いんだよ。

270年まで九州は日本領土じゃないよ。
その後半島南部の韓が日本領土になるけどね。

895 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 22:23:31.94
>>892
崇神天皇285〜318

896 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 22:24:54.63
倭国は北部九州である

897 :九州王:2017/06/08(木) 22:35:38.20
九州が大和朝廷の支配下に入ったのは701年だよ
邪馬壹國から発展した九州倭国は7世紀末までは存在していた。

898 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 23:18:14.58
>>895
>>892
>崇神天皇285〜318

これが何度目かになる九州北部から関西地方への侵入だね。

899 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 23:40:08.53
平成は倭国ニホンの時代である

900 :日本@名無史さん:2017/06/08(木) 23:45:26.02
最近はヤマト史観の連中が必死にニッポンを連呼している
北部九州倭国ニホンは和の精神である

901 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 07:56:49.03
崇神天皇は九州倭国の系譜で初代とされる天皇を
記紀の編纂時にヤマト朝廷の系譜に取り込んだものだろう
ヤマト朝廷の系譜は神武天皇とそれに続く欠史八代の天皇及び天武天皇系。

902 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 10:54:30.97
>>897九州王
>九州が大和朝廷の支配下に入ったのは701年だよ
   邪馬壹國から発展した九州倭国は7世紀末までは存在していた。

阿波から大和へ遷都したのは701年だよ
   邪馬壹國から発展した倭国(阿波)は7世紀末までは阿波に存在していた。

903 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 14:51:06.74
600年遣隋使奏上、古の倭国は日本国ではない。
これは、270年までの倭国=九州を平定できていなかった事を意味する。
これ以降、九州豪族は半島の開拓、シンパは国内の地方開拓に配流され日本人化した。
九州系神社の普及は神話系も有るが氏神。

400年、倭の五王では九州は日本と言っていないが、
東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国。
渡りて、海北を平ぐること九十五国 で、冊封を受けた、倭国である。 
冊封の過去を否定したい意図は有るかもしれないが
400年当時、朝廷が冊封の意味を知っていたかは判らない。

その後、663年、唐は事実上朝鮮半島を領有した。
270年まで平定していなかった九州は唐に侵略される恐れが有り防人を置いた。
古事記日本書紀がこの間の記録を濁し、捏造したのはこれが理由だ。

九州は歴史的に日本の天皇が作った固有の領土であるw
これが、言いたい為に変なところに天孫降臨して訳わかんなくなってんだなwww

これが、大化の改新の結果だろうが
600年時点の外交巧者、聖徳太子は半島放棄の予定を読んでいたとも思えないので
大使が編纂した国記、天皇記にはこの歴史が記されていたと考える。

904 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 15:05:39.14
>>903
>東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国。
   渡りて、海北を平ぐること九十五国 で、冊封を受けた、倭国である。

これは、
「東は毛人を征すること五十五国」=四国(阿波)の東のこと。畿内以東を指している。
「西は衆夷を服すること六十六国」=四国(阿波)の西のこと。九州を指している。
「渡りて、海北を平ぐること九十五国」=四国(阿波)の北のこと。中国。北陸地方を指している。
んですよ。

905 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 15:47:04.90
まぁ、立地的に四国以外はないわな。

906 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 16:03:36.85
>>904
>「渡りて、海北を平ぐること」

敢えての、この表現は、日本海を指しているんですよ。

907 :周髀算經の記述内容はBC1120年頃には成立していた:2017/06/09(金) 18:39:45.35
「東征毛人五十五國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國」宋書 夷蛮 倭國伝

五世紀に、倭5王の王統が支配した状況地域(478年頃)

@東に毛人を征した55ヶ国の地域・・・中国四国西部地域
A西に衆夷(自遜語・自謙語)を元から服していた66ヶ国の地域・・・熊本以北九州地域
B北に対馬海峡を渡り平らげた95ヶ国の地域・・・朝鮮半島南岸地域

908 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 18:41:28.49
>>879
>平原の殉葬らしきものって土坑墓だろ?
>縄文時代から普通にあるわけだが。
>なんで都合よく殉葬になるのだかw

土坑墓って、穴掘って埋めるだけという、世界中に昔からある一番簡素な墓なわけで、
むしろ殉葬なら土坑墓でじゅうぶんだろ。

逆にそれが殉葬でないとする理由は何なのだ?

>徇葬者奴婢百餘人

弥生時代に奴婢の殉葬だったら、縄文から弥生以降までポピュラーにあった土坑墓だろうに。

>>879の脳内ではどんな殉葬を定義しているのか聞いてみたいものだな。
根拠も付け加えてな。

909 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 19:04:20.40
>>907
>A西に衆夷(自遜語・自謙語)を元から服していた66ヶ国の地域・・・熊本以北九州地域

「元から服していた」で×  このたび征服した地ではない!
「66ヶ国の地域・・・熊本以北九州地域」で×  66ヶ国もない 

>B北に対馬海峡を渡り平らげた95ヶ国の地域・・・朝鮮半島南岸地域

朝鮮半島南岸地域に95ヶ国もないから×

910 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 20:52:03.62
まぁ、立地的に四国以外はないわな。

911 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 21:11:07.97
>>910
よう、邪馬台国四国説では人が集まらなくて寄生してんのか?w
みじめやのうw

四国のどこに王墓があるん?w

卑弥呼の墓がどこか?
帯方郡からのルートはどうか?

それぞれ一行で説明してみろやw


簡単な宿題も、

なんちゃって四国説には
無理やろうけどwww

912 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 21:16:22.77
邪馬台国はエジプト
文明を発明したのは縄文人
古代エジプト王国(邪馬台国)を作ったのはシュメール人(縄文人)

913 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 21:48:07.91
おいおい四国説w

俺は酒飲みながら待ってるんだぜwww

阿波説(失笑 とやらの考える
卑弥呼の墓がどこか?
帯方郡からのルートはどうか?

こんな基本も即答できないなら


お 前 は ク ズ だ w w w 


砂鉄を見つめながら畿内説スレでも汚してろwww

914 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 21:55:55.88
>>911
> 四国のどこに王墓があるん?w

四国の阿波

>卑弥呼の墓がどこか?

矢野遺跡隣接 徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社  御祭神 大日孁女命
http://bqspot.com/shikoku/tokushima/569

>帯方郡からのルートはどうか?

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦) →【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)→直方

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り) →【東南】100里 奴国(二万戸)(田川辺り) →【東】100里 不弥国(千戸)(築上町辺り)

→【南】 豊後水道 水行20日 投馬国(五万戸)(宿毛) →【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万→【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。

質問、他には?

915 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:05:07.36
>>914
あのさあ

神社が根拠になるなら、
いくらでも候補はあるよね?

宇佐とか高良大社とかさ

>天石門別八倉比賣神社

あんたの脳内世界じゃどうか知らないけどさ
そこからなんか出土してんの?w


>福津市辺り万津浦
対馬海流で往路が<福津市辺り万津浦>???
復路はどうすんのさw
港の意味が分かってんのかな?

片方通行の主要港ってありえないことが理解出るかなあ???


>→【南】 豊後水道 水行20日 投馬国(五万戸)(宿毛) →【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道)

周りを見てごらん

みんなを笑い死にさせる戦略かな?wwwww

916 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:08:55.44
>>915

あのさあ

まぁ、立地的に四国以外はないわな。

917 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:12:09.96
>>915

>復路はどうすんのさw

あのさあ
復路 名護屋以西から

918 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:13:51.80
>復路 名護屋以西から

じゃあ往路も安全な名護屋でいいじゃん

919 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:14:16.28
>>916
ギャハハハw

え?もう結果連呼?
議論できないんだねぇ

畿内説でももっと粘るぜ?

まあ、お前さんの阿波説なんぞ
所詮はその程度ってこったw

みじめ〜
みじめな阿波説〜

四国説スレにテンプレすら無いよ〜www

920 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:17:46.15
>>918
>じゃあ往路も安全な名護屋でいいじゃん

対馬海流を知らない御仁?

往路は安全に福津なんですよ。

921 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:20:00.20
>>919

あのさあ

まぁ、立地的に四国以外はないわな。

922 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:21:38.47
>>920
科学的な反論を要求する


潮流の向きは、海底地形や気象、潮の干満によって影響されて日々変化する。

壱岐〜呼子の表層流(海洋レーダーシステム)
<2011年6月> 北東・東:3 南西・南・南東11 北8 西3 乱流4 (日)
<2012年6月> 北東・東:3 南西・南・南東10 北7 西9 乱流1 (日)
<2013年6月> 北東・東:4 南西・南・南東6 北8 西10 乱流2 (日)
<2014年6月> 北東・東:2 南西・南・南東7 北9 西10 乱流2 (日)
<2015年6月> 北東・東:1 南西・南・南東6 北19 西3 乱流1 (日)

極端に北向きの流れが多い2015年を除いて、2011年から2014年までを平均すると、
南向き34(壱岐→呼子:28.6%) 東向き12(10.1%) 
北向き32(呼子→壱岐:26.9%) 西向き32(26.9%) 乱流9(7.6%)

923 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:22:16.77
>>921
あーあ、がっかりだね

阿波説に失望した




今日もまたwww

924 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:24:52.94
>あのさあ

>まぁ、立地的に四国以外はないわな。

え?
マジで?

その根拠は?

是非しりたい!!!

925 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:29:39.84
以上のまとめ

阿波説の脳内根拠は

北部九州倭国の、はるか東の辺境の属領である阿波において

>天石門別八倉比賣神社

が、本国北部九州倭国の天照大神=卑弥呼を崇めて日々平伏していたのを
あたかも卑弥呼がそこにおわしたかのように誤解してしまった

それだけを膨らませて
妄想して膨らませて





ただ、それだけwww

926 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:30:00.83
>>922
科学的な反論を要求する

http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/daily/

927 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:32:40.98
>>925
北部九州は、阿波から進出した、筑紫忌部なんですよ。

衰退していた筑紫は、阿波から進出した、筑紫忌部が再興したんですよ。

928 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:35:54.23
>>926
その日付を変えていく

1日 東向き
2日 西向き
3日 西向き
4日 北向き
5日 西向き
6日 北向き
7日 南向き

おいおい

東向きは、たったの1日だぞ?

どうすんだよ阿波説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ阿波説ようwww

929 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:35:55.92
>>926
その日付を変えていく

1日 東向き
2日 西向き
3日 西向き
4日 北向き
5日 西向き
6日 北向き
7日 南向き

おいおい

東向きは、たったの1日だぞ?

どうすんだよ阿波説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ阿波説ようwww

930 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:37:38.02
>>927
>北部九州は、阿波から進出した、筑紫忌部なんですよ。

初耳だなあ

その根拠は?


>衰退していた筑紫は、阿波から進出した、筑紫忌部が再興したんですよ。

初耳だなあ

その根拠は?

931 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:38:32.63
以上のまとめ

阿波説の脳内根拠は

北部九州倭国の、はるか東の辺境の属領である阿波において

>天石門別八倉比賣神社

が、本国北部九州倭国の天照大神=卑弥呼を崇めて日々平伏していたのを
あたかも卑弥呼がそこにおわしたかのように誤解してしまった

それだけを膨らませて
妄想して膨らませて





ただ、それだけwww

932 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:42:52.06
>>929
その日付を変えていく

1日 東向き
2日 西向き
3日 西向き
4日 北向き
5日 西向き
6日 北向き
7日 ×南向き 〇東向き

おいおい

南向きは、たったの1日もないぞ?

933 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:46:07.94
>>929
おいおい

毎月、毎月、南向きは、たったの1日もないぞ?

934 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:46:59.37
>>932
往路を福津に設定する根拠は、対馬海流が常に東向きというのが前提

往復を呼子に設定する根拠は、対馬海流がどちら向きだろうが
呼子が最短距離で安全だから、呼子

対馬海流が各方向に流れている時点で、呼子が確定するわけだな


残念!

科学的に阿波説は完全否定された!!!www


ギャハハハハハwww

頭の悪い阿波説をもっと聞かせてくれやwww

週末の酒の肴にしてやるからさあwww

935 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:47:26.89
どうすんだよ九州説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ九州説ようwww

936 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:50:05.64
>>933
魏使上陸の「末羅國」を呼子だ唐津だ言ってるような頓珍漢じゃ、そりゃ世界遺産登録も外される訳だ。

937 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:50:10.69
>>935
フライング?

恥ずかちーw

阿波説恥ずかちーwww


阿波説のお前は、
対馬海流は東向きで
海流に乗らないと目的地につかない
という説

九州説は
対馬海流は各方向に流れていて
海流には関係なく、最短距離の呼子と往復する
という説

勝負あったな

阿波説みじめーwww
酒が美味いwww

938 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:52:13.93
>>937
魏使上陸の「末羅國」を呼子だ唐津だ言ってるような頓珍漢じゃ、そりゃ世界遺産登録も外される訳だ。

939 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:53:25.16
>>933
どうすんだよ九州説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ九州説ようwww

940 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:53:58.46
>>938
あらら

科学的に論破されて、敗北宣言の結果連呼?

テンプレも作れない阿波説は所詮はその程度

 阿 波 説 だ け に 泡 沫 説 ど す な あ w w w

941 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:55:28.93
>>940
おいおい

毎月、毎月、南向きは、たったの1日もないぞ?

どうすんだよ九州説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ九州説ようwww

942 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:56:57.59
>>939
議論から逃げてるねえw

阿波説の
対馬海流に流されるってのが否定されてんだよ

対馬海流に流されるのを回避するべく
最短距離の呼子を目指すのが九州説

呼子と往復するわけだ


ってのを、無視するしかないとは

貧弱だねえ、阿波説ってのはw

943 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 22:57:55.29
>>942
おいおい

毎月、毎月、南向きは、たったの1日もないぞ?

どうすんだよ九州説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ九州説ようwww

944 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:00:27.26
>>943
みじめやのうw

九州説は
対馬海流に流されることなく
最短距離を進むから呼子と言ってるんだぜ

阿波説は
対馬海流に流されるから福津といっているのだが
東向きがたったの1日だけw

その1日だけを提示して誤魔化そうとして失敗www

恥の上塗りを繰り返してて
みじめすぎてまじ笑えるわwww

酒の肴ありがとう
阿波説さんw

945 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:01:35.17
以上のまとめ

阿波説の脳内根拠は

北部九州倭国の、はるか東の辺境の属領である阿波において

>天石門別八倉比賣神社

が、本国北部九州倭国の天照大神=卑弥呼を崇めて日々平伏していたのを
あたかも卑弥呼がそこにおわしたかのように誤解してしまった

それだけを膨らませて
妄想して膨らませて





ただ、それだけwww

946 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:02:41.99
>>942
呼子行きは、対馬海流に流されて、「成瀬川土左衛門」だな。

947 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:04:57.50
>>946
ふむふむ

阿波説は対馬海流に流されることに固執するわけだ

でわ、

1日 東向き
2日 西向き
3日 西向き
4日 北向き
5日 西向き
6日 北向き
7日 南向き

西に流されて

北部九州には滞在できても

阿波にはますます、とてもとても辿り着かないなあwww

阿波説によって阿波説終了www

948 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:05:22.01
>>944
おいおい

『毎月、毎月、南向きは、たったの1日もないぞ?』
http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/daily/

どうすんだよ九州説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ九州説ようwww

949 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:07:18.90
>>948
阿波説は天才だな

壱岐から西の伊万里に到着して
そこから東に移動したのか

東に5百里で、まさに北部九州だな!

阿波説終了www

950 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:09:01.59
>>949
おいおい

『毎月、毎月、南向きは、たったの1日もないぞ?』
http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/daily/

どうすんだよ九州説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ九州説ようwww

951 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:11:27.16
>>950
>九州説は
>対馬海流に流されることなく
>最短距離を進むから呼子と言ってるんだぜ

九州説の主張は最初から変わっていなくて
阿波説は論破になっていない

>阿波説は
>対馬海流に流されるから福津といっているのだが
>東向きがたったの1日だけw

阿波説の主張は論破されている


逃げずに議論してみろ

952 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:13:01.94
なんちゃって阿波説に議論を求めるとか無理w

みじめな敗北連呼を繰り返すぜwww

↓↓↓www

953 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:14:20.48
>九州説は
>対馬海流に流されることなく
>最短距離を進むから呼子と言ってるんだぜ

呼子行きは、対馬海流に流されて、「成瀬川土左衛門」だな。

954 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:15:11.87
>>953
1日 東向き
2日 西向き
3日 西向き
4日 北向き
5日 西向き
6日 北向き
7日 南向き

955 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:15:42.67
>阿波説は
>対馬海流に流されるから福津といっているのだが
>東向きがたったの1日だけw

『毎月、毎月、南向きは、たったの1日もないぞ?』
http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/daily/

どうすんだよ九州説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ九州説ようwww

956 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:16:52.47
ハッハッハw

壱岐と呼子の間は

流れが弱いんだなあwww

流されるって何?

阿波説の夢?www

957 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:17:23.98
>>954
1日 東向き
2日 西向き
3日 西向き
4日 北向き
5日 西向き
6日 北向き
7日 ×南向き  〇東向き

958 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:19:44.75
>>956
> 壱岐と呼子の間は

>流れが弱いんだなあwww

あれよあれよという間に 、「成瀬川土左衛門」だな。

959 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:21:01.67
>>958
最短の呼子行きがドザエモン?

じゃあ流れに逆らう福津行きはありえないねw

960 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:21:58.63
ブーメラン阿波説w

もっと踊れよw

俺の酒を美味くしろやwww

961 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:23:43.40
最短の呼子行きはドザエモン!!

往路は安全に福津なんですよ。

962 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:24:42.42
>>961
>最短の呼子行きはドザエモン!!

はい、阿波説が最短は呼子と認めました〜〜〜(パチパチパチ

963 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:27:13.57
阿波説のタコ踊りを見ながら
週末の酒を呑む

また 楽しからずや w

964 :日本@名無史さん:2017/06/09(金) 23:38:48.01
おいおいおいおい

九州説
対馬海流はいろんな方向に流れる
最短距離の呼子と往復する

みじめ阿波説
対馬海流に流されて福津につかないと成立しないみじめ説w
だけど対馬海流は各方向に向かうんだなこれがwww

まだ屁理屈あるの?
もっと聞かせてwww

俺の腹筋が痙攣するくらい聞かせてwww

965 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 00:32:02.52
>>909
>「東征毛人五十五國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國」
>@東に毛人を征した55ヶ国の地域・・・中国四国西部地域
>A西に衆夷(自遜語・自謙語)を元から服していた66ヶ国の地域・・・熊本以北九州地域
>B北に対馬海峡を渡り平らげた95ヶ国の地域・・・朝鮮半島南岸地域

「征」「服」「平」の意味上の違いを、辞書で調べなさい。

西の衆夷は、30國(後漢書倭伝)と20余國(後漢書東鯷人國)だけでで50余國ある。
福岡県東部大分県長崎県の小国推定10余国を加えれば、西の衆夷は66国となる。

九州北半分の衆夷が66国であるならば、海北の半島沿岸部(慶尚南道全羅南道)は95国となる。

尚、東の毛人は山口県愛媛県で55国となる。

966 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 00:42:31.02
>>953-954
一日単位の潮流変化比較は無意味。
対馬3海峡の潮流(表層流)は3時間単位で流速方向が変わるよ。

967 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 00:43:50.47
ダブルカウント、トリプルカウントか、東が西になり北にもなるわけねw

968 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 06:30:01.16
>>964
おいおいおいおい

九州説
対馬海流はいろんな方向に流れる
最短距離と思って呼子と往復しようとしたら、あれよあれよという間に 、「成瀬川土左衛門」とな。

969 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 06:37:24.34
『毎月、毎月、南向きは、ただの1日もないぞ?』
大概、東(相島・福津方面)へ流れているぞ?
http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/daily/

どうすんだよ九州説www

完全論破されたぜ?

どうすんだよ九州説ようwww

970 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 06:59:01.27
400年当時の大和朝廷の状況
東は主に田のない縄文集落の開拓植民
西は出雲に見る荘の取り込みや制服配流。
半島は開拓と軍事的保護で百済新蘿を立国した。

九州と半島は単なる海越しの領土で
九州は領地化。半島は対中で保護立国だな。
九州w良かったな。あぶねーあぶねー。

971 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 07:09:28.96
>>970
>400年当時の大和朝廷の状況

400年当時に大和朝廷は存在しない。

大和朝廷は8世紀から。

972 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 07:11:02.02
対馬海流?
倭の五王時代でも五島、済州から建康航路だな。

973 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 07:23:46.87
機内の朝廷に並立する九州の話だろ?

九州が日本領土の起源とか?
完全に神話だろ?

お前の父ちゃん熊か?

974 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 07:33:18.35
>>970
意味不
妄想史観

975 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 07:35:47.15
>>973
筑紫の日向三代が祖先であるというのが天皇家の公式な史書である日本書紀の見解だね。

976 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 07:36:12.51
>>969
はいはい
おじいちゃん、パソコンもおぼえたし、手品もお上手になりましたねえ

977 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 08:08:52.49
皇室には270年九州平定の正史が残ってる。
天尊降臨の記録は無い。

日本列島作ったあと五大陸作ってもいない。
聖徳太子でも、判ること。

978 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 08:13:52.56
筑後の景行天皇
筑前の神功皇后
北九州の仲哀天皇

これらはもともとあった九州豪族の
歴史を記紀に組み込んだだけだろう。

神功皇后が畿内に帰るまで
畿内でなにかやってた形跡がないからな。

979 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 08:16:56.61
>>978
筑後の景行天皇
筑前の神功皇后
北九州の仲哀天皇

うそっぱち

980 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 08:23:57.65
>>977
皇室の一番古い正史は日本書紀だけど?

981 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 08:26:13.30
>>978
同意する。
九州生まれの九州育ちの宇佐八幡の神、応神天皇も入れておいて。
武内宿禰も王だったんだろうなあ。

982 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:01:30.62
>>980
古すぎwww
今は平成

983 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:08:18.10
>>978
神功皇后の本拠地は九州では豊前や筑豊の辺りに思えるが。

984 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:13:50.41
>>980
正史×
愚民化洗脳記録

985 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:17:32.53
神話の話がしたいなら
邪馬台国は無かった。 で、終わり。

986 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:18:41.47
>>983
神功皇后は博多湾岸の事跡が多いからね。
筑豊、豊前は応神天皇と帰った道。
ただし、支配地だった安全な道で帰った
可能性はあるから、そっちも支配地、
場合によっては祖先の地だったのかもね。

987 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:22:58.68
>>978
>これらはもともとあった九州豪族の
   歴史を記紀に組み込んだだけだろう。

その、九州豪族とは、阿波から進出した、筑紫忌部なんですよ。

988 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:25:07.85
以上のまとめ

阿波説の脳内根拠は

北部九州倭国の、はるか東の辺境の属領である阿波において

>天石門別八倉比賣神社

が、本国北部九州倭国の天照大神=卑弥呼を崇めて日々平伏していたのを
あたかも卑弥呼がそこにおわしたかのように誤解してしまった

それだけを膨らませて
妄想して膨らませて





ただ、それだけwww

989 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:27:09.62
>>988

衰退していた筑紫は、阿波から進出した、筑紫忌部が再興したんですよ。

990 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:30:16.35
「天石門別八倉比賣神社」 「倭大国魂神社」 

見事な神名ですな。  さすが倭国(阿波)

991 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:35:26.67
>>986
豊前や肥前は極端に王墓が少ないので、
古くから倭国支配下に組み込まれて
倭国王族の荘園のようなものだったのでしょうね。

992 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:49:04.61
>>991
>古くから倭国支配下に組み込まれて

古くから九州は、倭国(阿波)から進出した、筑紫忌部の支配地なんですよ。

993 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:52:39.87
九州説は対馬海流に流されて、沈没しました。

994 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 09:56:26.39
来る日も、来る日も、
アホの阿波踊りの練習日かww

995 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 10:01:59.45
九州説は阿波説に流されて、沈没しました。

996 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 10:38:07.36
「事代主神社」「建布都神社」「伊射奈美神社」「伊加々志神社」
「多祁御奈刀弥神社」「天村雲神伊自波夜比賣神社」「弥都波能売神社」

圧倒され、息を吞む見事な神名ですな。  さすが倭国(阿波)

997 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 10:39:39.17
神道でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
※神社でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。

※今、ここ。

998 :九州王:2017/06/10(土) 10:54:03.25
次です、宜しくお願い致します。
https://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1497059251/

999 :九州王:2017/06/10(土) 10:55:09.84
阿波説は来ないでいいですよ。

1000 :日本@名無史さん:2017/06/10(土) 10:56:31.96
貴重な議論の結果、北部九州説がますます強化されましたね。

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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1002 :1002:Over 1000 Thread
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