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ヘーゲルスレがなくね? [無断転載禁止]©2ch.net

1 :考える名無しさん:2016/08/08(月) 01:42:40.82 0
 、_    
  ~) ヽ       __
  / / ト 、 ト、__  ~゙゙ソ
 ( i、_ノノ`  | i"~ ー=、 `ニ= 
  `ー'" ( =_ハ`>   )ノ
            ゝ'
      ,、,,..._          ピキッ
     ノ ☻ ヽ 
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   / :::::   ゙、
   ,i ::::::     `ー-、
   | ::::          i
   ! :::::..        ノ
   `ー――――― '"

293 :考える名無しさん:2017/04/23(日) 04:27:39.92 0
>>292
誤解してた。
「客観がなければ主観はない」は正しくて、「主観がなければ客観はない」は正しくない、でいい?

294 :考える名無しさん:2017/04/23(日) 12:41:34.82 0
>>293
それでOK。

295 :考える名無しさん:2017/04/24(月) 07:37:42.24 0
主観的であり、客観的なものは絶対的であるって、どういうこと?

296 :考える名無しさん:2017/04/24(月) 11:27:26.39 0
>>295
もう一度読み直してみて。

それでもわからなくて質問する場合は、数行分を引用してね。

297 :考える名無しさん:2017/04/25(火) 08:44:24.66 0
ヘーゲルをずっと読んでるとだんだんつかめてくる

298 :考える名無しさん:2017/05/04(木) 09:01:41.10 0
マックで寛ぎながらヘーゲル読んでるよー
おしゃれだろ?

299 :考える名無しさん:2017/05/09(火) 12:38:24.69 0
「魔法少女まどかマギカ」というアニメで、主人公が最後、神みたいな存在になるんだけど、そのことを「概念になった」という言い方するんだよね。
ヘーゲルを意識してるのかね。

300 :考える名無しさん:2017/05/25(木) 12:44:23.75 0
一字一句理解しようとして根詰めて読もうとするとドツボにハマるよね。
なんか、つらつらと何度か読んでるうちに突然「あー、なるほど」
って瞬間が来た、オレの場合。
最初から掴める人もいるんだろうけど、オレは結構時間かかったな。

あと、客観なんつーもんは、それを客観と思う主観の事やぞ。

301 :考える名無しさん:2017/05/25(木) 14:29:34.16 0
>>300
>客観なんつーもんは、それを客観と思う主観の事

ヘーゲルの場合は、そう単純ではない。
客観というか、カントのいう〈物自体〉という考え方を否定して、客観(物)の表われのすべてが客観だとしている。
メルロ=ポンティと同じ。

302 :考える名無しさん:2017/05/25(木) 18:47:07.20 0
>>301
水に入る前に泳ぎ習ってどうすんねん、と。それはわかるで。
認識の盲点というか。

表われの全てが客観ね。多分同じところの言い方の違いなんだろう。
全てが客観とするならそう考える主観なのよ。
主観であり客観、意味を与え、意味を与えられるわけやね。

303 :考える名無しさん:2017/05/25(木) 19:16:33.64 0
>>302
無意味な言葉の遊びだね。
カント以前に戻ってる。

そういう言葉の遊びを全否定したのがヴィトゲンシュタイン。
実際に主観と客観(物)を分析して見せたのが、メルロ=ポンティ。

304 :考える名無しさん:2017/05/26(金) 02:24:22.11 0
>>303
水泳の話はヘーゲルのカント評。
認識が主客二元化から離れられない盲点を批判した。
客観はいかにして可能かと問うたカントに
オノレが問うその時点で、客観という言葉を認識してますやん、おかしいやんってことよ。誰が客観と名付けたかっつーことね。

全てが客観って言い切っちゃうと、カントと同じやぞ。
逆の意味でな。

305 :考える名無しさん:2017/05/26(金) 02:46:13.73 0
主観があって客観がある。客観があって主観がある。
「それ」は「それだ」と言ったから「それ」なんだよ。

フッサールは
「世界とは、意味形象として、究極的に機能しつつある普遍的主観性の生成である」
って言っている。
メルロ=ポンティは
反省的分析では「既に生きられた世界」の説明がつかないでしょ、と言う。

ヘーゲルはそれらを超越して、
お前さん方、そんなもん同じことですよ、と言ってるわけさ。

306 :考える名無しさん:2017/05/26(金) 10:57:51.92 0
>>304-305
まず、主観と客観という言葉の定義から考えなくてはいけない。
言葉の定義というのは、分類、分析ということだ。
それがいい加減だと、言葉の遊びになる。

主観というのは、個人がなにかを見聞きして、それに伴うなにごとかの心の動きのことだ。
客観というのは、なにごとかのそのものをさす場合もあれば、個人の主観の集積のようなものをさす場合もある。
前者の視点を明確にしたのがカントで、後者の視点から主観と客観を混同しているのが君だ。

僕は不勉強なので、ヘーゲルの水泳の話も、メルロ=ポンティの「反省的分析」に関する発言も知らないが、ヘーゲルもメルロ=ポンティも君のような言葉の定義を曖昧にしたままでの文脈で使っているとは思えない。
もし君の言う通りなら、僕のヘーゲル理解とメルロ=ポンティ理解が違っていることになるが、いまのところは自分の理解の方が正鵠を得ていると思っている。
もちろん主観だが。

>主観があって客観がある。客観があって主観がある。
>「それ」は「それだ」と言ったから「それ」なんだよ。

主観があろうとなかろうと、カント的な物自体という意味での客観はある。
「それだ」と言おうと言うまいと、「それ」はある。

客観によって主観が形成されるが、主観によって客観が形成されることはない。
主観が客観に対してなんらかの客観的な動きをした場合に、はじめて客観が変化する。

主観と客観の関係を明確にしたのはフォイエルバッハだ。
フォイエルバッハの源流はヘーゲルのあり、マルクスはいうまでもなく、メルロ=ポンティもサルトルもフォイエルバッハの後継だ。

307 :考える名無しさん:2017/06/07(水) 23:50:50.84 0
>>306
>「それだ」と言おうと言うまいと、「それ」はある。

「それ」はあるって言うてもうてるやん。
そこがカントの認識論の限界なんだよ。

「それ」が「それだ」と言われる前に
どう「それ」なんだよ?あんた、もう「それ」っての「認識」してるから
「それ」って言っちゃえるんだよ?

だからこそ、ヘーゲルは
水に入る前に泳ぎを習ってどうすんの?と言ったんやぞ。

308 :考える名無しさん:2017/06/08(木) 00:07:49.82 0
ここはヘーゲルスレだからヘーゲルの話をする。

我々は、ものごとを理解するとき、
「分かる」と言う。(日本語ってすげぇな、って思う。)

絶対精神の自己実現。
ヘーゲルにとっちゃ、オレが世界で世界がオレで、だ。
なんでか。
我々人間は言語は様々違えど「AはBである」という叙述で
思考のタネを蓄積していく。全員同じ形式なんだ。
「A=B」と書かれようと、「A is B.」と書かれようと
中身は同じ。

思考の歴史の、膨大な「A is B.」、60億人の膨大な「A is B.」
その一端を獲得すること、これこそ「分かる」だ。
これこそ、絶対精神の自己実現に他ならない。
膨大な「AはBである」から「分かたれた」ある一点を
「あ、そうか」と。

309 :考える名無しさん:2017/06/08(木) 02:21:11.57 0
ヘーゲルが言ってる事はある種分かりやすいし丁寧ではある
ヘラクレイトスを現代風に伝えた功績者
要は弁証法の古代天才と現代の雄
まずもって哲学とはこれが基礎であり全てでもある
言語文法に関係なく必要不可欠な素養

310 :考える名無しさん:2017/06/08(木) 11:48:32.21 0
>>307
あの、取りあえず、標準語で書いてくれないだろうか?

なに書いてるのかわからないところがあるから。

311 :考える名無しさん:2017/06/08(木) 11:52:36.95 0
>>308
ヘーゲルの絶対精神というのは、国家として実現されるんだよ?

精神の世界は、個人、家族、市民社会、国家と明確に分類されているんだ。

312 :考える名無しさん:2017/06/09(金) 01:18:11.25 0
>>310
ええええ? これ以上わかりやすくしろってのは傲慢だと思うよ。

「それ」が「それ」と言われる前に「それ」がある
というけど、
「それ」って言っちゃってるでしょ?あなた。
認識される以前の「それ」を「それはある」ということはできないでしょ。
何が「ある」のか、「ある」ものが「それ」と断定出来る根拠は何?

だから、水に入る前になんで泳ぎを知ってるの?って話。
これで伝わらなかったらヘーゲルを読めてるとは言えないと思う。

313 :考える名無しさん:2017/06/09(金) 01:23:51.60 0
>>311
あ〜あ、としか言えんな。

そのように理解した連中が
「実践哲学」とかなんとか言ってルサンチマンを吐き散らし
マルクスが生まれるw

ヘーゲルは 歴史は弁証法的に進んで行くってのをただ述べただけ。
弁証法的に展開すべきなんて言ってないのw

およそ、歴史なんつーものは思考する精神の総体だよねーって言ってるだけ。
何が国家だよwwwww

314 :考える名無しさん:2017/06/09(金) 01:59:23.38 0
「猫」が「猫」と名付けられる前から「猫」だった?
そんなわけあるか!!!!

315 :考える名無しさん:2017/06/09(金) 09:49:07.28 0
>>312
わかりやすく、とかではなく、方言で書かれるとわからないということ。

「それ」というのは言葉のことらしいけど、言葉があることとその存在の有無はなんの関係もない。
なにかがあることに対して「それ」と言っているのであって、その逆ではない。
嘘だと思ったら、なにも言葉で言わずに、言葉を思い浮かべもせずに、目の前のものを見たり触ったりしてみればいい。

>>313
君がヘーゲルを読んでいないことは構わない。
マルクスの本をまったく読まずに、マルクスを嫌って自分の無知を宣伝するのも自由だ。
ただ、せっかくこのスレにきたのなら、なにか読んでみたらいいと思う。

>>314
新発見の動物は、名前が付けられる前には存在しない、と言いたいのかな?

316 :考える名無しさん:2017/06/09(金) 23:54:38.67 0
日本人は品性が無い

317 :考える名無しさん:2017/06/13(火) 08:52:07.42 0
>>315
カントの言う「物自体」の存在を言いたいの?

318 :考える名無しさん:2017/06/13(火) 12:15:40.59 0
>>317
普通の「物」だよ。

319 :考える名無しさん:2017/06/14(水) 08:35:39.23 0
>>318
でもあなたは「認識以前に物はある」って主張していて、その場合の「物」って「物自体」ですよね。今は「認識以前に物はあるか?」ってことが議論になってるから、そう絞りませんか?

320 :考える名無しさん:2017/06/14(水) 16:24:50.32 0
>>319
カントの「物自体」というのは、認識不可能な空想による「物」の概念。
ヘーゲルは、その空想性を強く批判している。
「物」は物であって、概念設定の必要はない。

321 :考える名無しさん:2017/06/14(水) 20:50:03.05 0
>>320
「物」は物であって、概念設定の必要はない

これ自体が、概念設定してることになるんだけど。「概念設定の必要はない」って規定してるでしょ。

322 :考える名無しさん:2017/06/14(水) 23:28:54.27 0
>>321
言葉の遊びではなにも理解することはできない。

カントの物自体と物との区別がつかないようでは、概念という言葉自体を理解できていない。

323 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 04:32:01.25 0
以下、山下正男『思想の中の数学的構造』(ちくま学芸文庫)374-6頁より

 ボルツァーノにおける集合の概念
 ヘーゲルはこのように全体観的な思想の持ち主であるが,もちろん近代ヨーロッパの人間として,原子論的な立場を
熟知していた。ところでヘーゲルは国家や社会は単なる烏合の衆からはないたちえないのであり,そこには実体的統
一性が必要だという.他方原子論者もまた烏合の衆では社会が成り立ちえないこと,つまり万人の万人に対する闘争
といった内乱状態では社会が成立しないことを認める.しかし原子論者とヘーゲルの違いは,へーゲルがいきなり有
機的な実体的統一をもちだすのに対し,原子論者は烏合の衆の状態から契約によって一歩一歩新しい社会を組み立て
ていこうとする点にある.こうした態度を知識論に適用すると,原子論者がすべての知識をそれ以上分解不能な最小
単位にまで分析し,そうした最小単位から全体を再構成するのに対し,ヘーゲルその他の全体論者は,厳密で入念な
再構成といった迂遠な方法を嫌い,性急な総合をなしたり,場合によっては,分析を経ないで全体を全体として扱うも
のだということができる.したがって知的態度に関する限り,集合論の態度はまさに原子論の態度に属することは明
らかである.いや集合論こそ,原子論的態度をもっとも厳密にそしてもっとも徽底的に遂行しようとしとものである
ということができるのである.

324 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 04:32:42.12 0
 さてそうした性格をもつ集合論は確かにカントールの創始したものではあるが、それよりまえに集合の概念を論理的
にはっきり把握したのがボルツァーノである.ボルツァーノはヘーゲルより10歳ばかり年少のチェコスロバキアの
哲学者兼数学者兼論理学者であった.彼は数学、論理学にもよく精通していた関係上,ヘーゲルの弁証法をこっぴどく
批判した.さてボルツァーノの主著は1837年に出た4巻本の『知識学』である.この本は実質的には論理学,しか
もきわめて優れた形式論理学の書物だということができる.ところでこの書物の81節で集合(Menge)の概念が定義
されている.すなわち彼は「集合とは,要素間の結合の仕方が確定されていないような諸要素の集まりである」と規
定する.そしてその例として貨幣の堆積を挙げ,そうした場合,一枚一枚の貨幣がどんな順序で並べられているかと
いったことはどうでもいいものとして度外視されると述べている.そしてその後でボルツァーノはさらに人間社会の
喩えをもちだす.すなわち集合とは人間社会でいえばその成員である個々人がどう並んでいてもよいような社会,つ
まり各人の間にいかなる階級的上下関係をも認めない社会のようなものだと主張しているのである.こうしてボルツ
ァーノの集合概念は人間社会になぞらえられたもの,つまり擬社会観的なものであるということができよう.ところ
でボルツァーノは哲学者として,『最良の国家について』という国家論の書物をもあらわした.彼はそこでヘーゲルな
どとは違って,民主主義的社会主義の立場に立ち,人間は性,年齢,気質,体質などで区別はつけられるが,財産と出生
によって差別されるべきではないと主張した.またボルツァーノはカトリック教徒として,その著『宗教学教本』で,
「全人類はアダムとイブの子孫であるかぎり,本質的には平等である」と述べている.こうしてボルツァーノの集合の
定義つまり「相互にいかなる順位ももたないメンバーの集まり」は彼の社会学説,神学説,倫理学説における人間平等
の思想にはっきり対応しているのである.

325 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 05:49:35.67 0
>>322
言葉の遊びじゃないですよ。
そちらこそ、「定義」に縛られて、人間の意識の活動全体を捉えていないのではないですか?

326 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 12:14:21.40 0
>>325
「物」というのは、普通にどこにでもあるすべての存在のこと。
「物自体」というのは、カントが物を概念化して、人間が認識できない「なのものか」として設定した概念。

「物」は自然そのものだが、「物自体」は人間の思考によって設定された空想によるなにか。
その意味でハイデガーの「存在」やドゥルーズの「差異」などとの共通性を持つ。
カントとそのような「存在論者」の違いは、カントがそういう概念設定をしたうえで、その概念設定を切り捨てたのに対して、「存在論者」は、その概念設定にとらわれ続けたというところ。

人間の意識は、たんにそれが身体という「物」によって生成されているというだけではなく、対象としての「物」によっても規定されている。
意識は常に何者かについての意識、ということになる。
その意識の在りかたを捉えようとするなら、人間と自身の身体を含めた「物」との関係の在りかたを捉えることが必要だ。

「物自体」は、人間の認識にとって無縁なものとして設定されているので、「物」とはまったく別のことということになる。
それが、僕が「物」と「物自体」が違うものだと言っている理由だと理解してもらいたい。

327 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 18:00:46.66 0
たまたまスレが上がっていたので目に止まりましたが、ワードやフレーズを正確に理解してないと書けない文章ですね。
勉強になりました。
>>326
(1)理論体系上に「物自体」を設定した理由は、人間の認識に訴えるための、必然だったのでしょうか。
(2)形而上学や物自体やその類似の概念以外を利用して、自身の思考を他の人間たちに伝達するのは、当該方法以外では全く成功しないのでしょうか。
言語やメタファによるのが一番簡単だと断定できる根拠はなんですか。

328 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 18:13:49.18 0
>>327
>理論体系上に「物自体」を設定した理由

カントが「物自体」を設定したのは、形而上学的な無益な議論を避けるため。

>言語やメタファによるのが一番簡単だと断定できる根拠

僕の書いていることとは関係がないと思うが、あなたの疑問の趣旨がつかめない。

329 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 18:26:58.30 0
>>328
そうですか。残念でした。

330 :美魔女:2017/06/15(木) 18:49:17.50 0
>>328
形而上学を無益と考えたのではなく
そこからは信仰に譲ったのよ。👰
アリストテレスからヘーゲルはキリスト教を基礎に哲学が発展しました✨💁

331 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 20:10:28.22 0
>>330
悪いが、意味不明な横レスはやめてくれ。
アリストテレスは、キリスト誕生の前の哲学者だ。

332 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 20:14:31.90 0
>>326
「物」と「物自体」は違う。これは分かりました。
あなたの主張「「物」は、認識があろうとなかろうと、存在する」という主張は違うのではないかと、私は考えるわけです。

333 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 20:15:31.62 0
>>326
たしかに個人のレベルで見れば、ある人には気づかない「物」が存在することは確かです。しかし、一般的に「存在」ということを考えたとき、認識を離れて存在はない、と考えます。

334 :考える名無しさん:2017/06/15(木) 20:32:30.41 0
>>332-333
認識してもしなくても、物は存在する。
それが納得できてもできなくても、認識によって物が変わるわけではない。

目の前のグラスを、認識を変えることで形状を変えることができるかどうか、試してみればいい。
一般的な「存在」などというものは、空想の中にしかない。

335 :考える名無しさん:2017/06/16(金) 08:28:57.57 0
>>334
どうやらあなたは認識や存在を「誰かの認識」「何かの存在」として個別的に考えていて、認識そのもの存在そのものについて普遍的に考えることを「空想」として排除しているようですね。

336 :考える名無しさん:2017/06/16(金) 08:29:29.78 0
>>334
私は、あなたが保持している思想とあなたが排除している「空想」とをいずれも重要な要素として組み込んで統一的に考えていったのがヘーゲル哲学だと思っています。

337 :考える名無しさん:2017/06/16(金) 11:20:17.39 0
>>335
>存在そのものについて普遍的に考えることを「空想」として排除している

そのとおり。
ただ、排除という言いかたは適切ではない。
空想は空想として、人の精神にかかわることなのだから。

>>336
>統一的に考えていったのがヘーゲル哲学

物が存在し、関係が存在し、精神が存在する。
その在りかたを一つの理念への昇華として解明し、逆に根拠づけようとした、その意味では循環しているのが、ヘーゲルの哲学だ。
在りかたの解明というのは、存在一般を設定する「存在論」ではなく、分析と論理のことをいう。

338 :考える名無しさん:2017/06/16(金) 11:26:49.69 0
>>335
補足。

認識や存在は、「誰かの認識」「何かの存在」として、個別的にしか存在しない。

339 :考える名無しさん:2017/06/20(火) 09:03:50.33 0
絶対精神の境地を理解したいと思って、みんなヘーゲルに入ってくるよね。

340 :考える名無しさん:2017/06/20(火) 10:34:18.04 0
>>339
絶対精神というのは、境地じゃないんだけど。

341 :考える名無しさん:2017/06/20(火) 13:51:18.77 0
>>340
いや、知らない人はそう思ってるってこと

342 :考える名無しさん:2017/06/22(木) 09:14:13.63 0
日本人的なのかな。

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